見出し画像

喪服のおもい ①

初note書きます。

今年もまた私のこころをざわつかせる季節がやってきた。
でもそのそれはなにがどうかということを表現しづらい感覚。
そうなったからとなにがどうでも変わる訳でもなく、変えれる訳もない。
どこかの深い知らない場所に置き去りにされたような、取り残されたような
いや違うかな…渋谷交差点の雑踏の中、音がない世界に立ち尽くすみたいな…
ただただ心の奥がざわざわするのだ…

これから書くことは、ただこういうことがあったという事実を書きとめたいと思います。でもそれによりまた何かが変わることはないと思う。
逃げたいたことから向き合うってことでもないと思う。

あえて言うなら、もし誰かの目にとまるならこんなことがあったけど私は今もこの場にいるということです。
(書き始める前にひとつだけ、あの日々の記憶はすごく時系列がかなり曖昧だったり、どうしても思い出せないすっぽり記憶が抜けていることがあるのでもしかすると矛盾が生じるかもしれません)


その年は各地で最高気温を更新するほど、うだるように暑い夏だった。

お盆休みの最終日前、夫婦で今日はゆっくり家で過ごそうかとそんな日だった。
その日は私のほうが少し風邪気味で体調が悪く、旦那が晩ご飯を作ってくれ、ふたりでいつも通り話しながら、笑いながら、ごはんを食べた。
ふたりとももう食べ終わろうとする矢先、私に普通に何か話そうとした彼がいきなり振り向きざま、ぐらっと床に倒れたのだ。

そしてそのままびっくりするほど大きいいびきをかき始めたのだ。

ウソでしょ?

その様子は知識が浅い私でもどこかで話に聞いたことがあったので、コレはとんでもないことになったと一瞬でわかった..
彼が飲んでいたビールが床に散乱していることなどどうでもよかった。

119に震える手で電話をかけ、落ち着いて!と電話の向こうで言われるまま指示通り気道の確保をした。

救急車を待つ間、私はまず彼の実家に電話(実はその記憶が全くなく、電話にでないので彼の2番目の妹に連絡したと勝手に自分自身で記憶のすり替えをしていたことが義母との会話でけっこう最近あきらかになった。きっとよほど彼の両親に伝えるのが耐えれらなかったからだと思う)

そして自分の姉に電話。「ジュンがな…倒れてん..」
「……え?....」緊張した姉の声が遠くから聞こえているようだった。

その後、夫婦共々仲良くしている友達連中のひとりにも連絡した。
「はいよ〜今実家に帰ってみんなで飯食ってたとこ〜」といつもの調子で電話に出た。
「は?お前何言ってんの?...」声のトーンが変わった。
「…うん、わかった。病院の行き先は救急に連絡すればわかるからとにかく…わかったから」そんな感じだったと思う。

そして救急車が来て、乗り込む時私は以前父からもらった観音様の写真をにぎりしめていた。行き先の病院が決まらず、たぶんそんな時間は経ってはないと思うが私にはとてつもなく長く感じた。

住んでいた都内ではなく、丸子橋を渡った隣の川崎市にある病院に決まったようだった。
運ばれている最中、救急隊の方が「今一瞬びくって動かれましたね」と。
その一言で悟った…
やっぱり..そこまで危ないのだと。

病院に着き、ストレッチャーで運ばれていく姿を祈るように目で追い、廊下の奥の重い扉の向こうに彼は消えていった。

外来の診療時間が終わった明かりの消えた誰もいない待合室に残された私はひとりぽつんと立っているしかなかった。

そんな私がそうしている一方で(これは後で知ることになったのだが)
瞬く間に友達に連絡は拡がり、よくみんなが溜まり場にしていた友達の千葉にあるデザイン事務所に大勢集まってきて、こちらの情報次第でかけつけようとみんな待機していてくれたらしい。
今日は会える状況じゃないとの報告でやっと夜中に解散したという。
今でもその時のそれぞれの様子を想像するだけで胸があつくなる。
心配してくれたことへのありがたさと、ジュンはみんなに愛されていたんだなって。

話を元に戻すが、この記憶も実はあやふやなのだが、、、
やがて医師が来て、病名を伝えられたと思う。
現在ICUにいて、とにかくかなり危険な状態だということ。
呼べるご家族がいるなら早急に呼んで下さい と。
彼の実家が北陸なので来ても明日になると言うと、
では詳細な病状と今後のことを決めて頂くためにも、明日皆さんが集まり次第説明させてくださいということになった。

結局、彼の病名は、くも膜下出血だった。

もう訳がわからなかった…

それでも連絡をしなければいけないところに電話をしたり
そうこうしているうちに都内にいるジュンの一番下の妹や私の姉がまず駆けつけ、始めに電話した友達も来てくれた。
だからと言って私も含め、誰も彼に会えることはできない。

ストレッチャーに乗せれら消えていったのを最後に、その日はただ家に帰るしかなかったのだった。

友達が車で家まで送ってくれた。
家の近くのコインパーキングに車を止め、外に出たら
別の車に4人友達が待っていた…

送ってくれた友達が「あいつひとりにできないじゃん」
そう言って、一緒にその日を過ごすつもりで呼んでいてくれたらしい。

彼ら彼女らの顔みて、なんとも言えない気分になり
向こうもなんて声かければいいのかわからなかったのだろう
「来たよー」と言われ、私はただへらへらしていた。
ただただ、へらへらして笑っていた。

この日、涙はまだ一滴もでていなかった…


喪服のおもい⓵とりあえずココまで…

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?