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なぜ「優しい人」はモテないのか

現在の恋愛や婚活市場では「3低」が男性に求められているらしい。その内容は「低姿勢/低依存/低リスク」である。理想的な生活は相手選びから始まっているようだ。

さらに恋愛では、自分に好意があるかどうかの指標、通称「脈ありサイン」もよくチェックされる。相手が自分にどういう意図で行動してきているんだろうとか、果たして好かれているんだろうかなどといった悩みは、基本尽きることはない。だからついつい友人に相談しては一喜一憂するのであろう。

こういう話を聞いた時、私はふと思った。

「自分の求める条件を満たした人物は、自分にとって本当に魅力的なのか」

どれだけ仲のいいカップルでも、不満の一つや二つは確実に出てくるし、結婚生活はおそらく不満の連続である。度を超えた借金みたいな、生活の影響が大きいものはないに越したことがないが、小さな不満は時として会話のタネにすらなる。つまり、幸せを感じるためには、少しの不満が必要になる。だから思い通りにいったときに嬉しくなる。

・汚れた服を洗濯機に入れない
・部屋を掃除しない
・言い方がいちいちキツい

これらはよく聞く夫婦やカップルの不満のほんの一部だが、これらがなくなることがそのカップルの幸せとイコールなのか。

私個人の意見としては、ノーだと思う。

たしかに不満なく生活したいという願望は私にもある。「なんでやらないの?」って全く理解できない人と生活したくない気持ちもある。

だが、相手の嫌いなところがなくなればもっとその人を好きになるという話でもない。例えば、恋愛で最もよく聞く「優しい人」という人物。結論から言えば、この「優しい人」は恋愛市場では全くモテない。

私が思うに、「優しい人」の最大の魅力は「自分の不満をすでに解消している」点である。その人はパートナーが求める場所には行くし、ご飯だって食べさせてくれるし、やって欲しくないことは絶対しないだろう。その人と付き合えば自分の求めているものが全て手に入った状態から恋愛が出来るようなものである。

先述の通り「優しい人」は恋愛では全くモテない。なぜならその人が「すでにゴールに辿り着いている」からに他ならないからだ。言い換えれば、「優しい人」とは「成長させ甲斐がない人」なのであり、これがモテない原因である。
不満がないというのは一見すれば良いことなのだが、恋愛ではパートナーの欠点が自分で解決できそうなレベルの人に魅力を感じるのである。要するに恋愛はパートナーの育成ゲームみたいなものである。

故に、結婚生活では「優しい人」を求めることを自分で分かっていながら、恋愛では全く違うタイプと付き合うという不一致が起きている。
好きなタイプで「優しい人」と本気で答える人は「生活上のパートナーの最終地点の理想」と「自分が恋愛する際の条件」の棲み分けが出来ていない。だから自称優しい人がその人に近づいても、その人は決して相手にしないし、断り文句として「いい人なんだけど異性として見れない」とか言い出す。

とはいえ、そんな人も最初からタイプの人を選べば結婚生活が安泰とは限らない。モラハラ気質など、パートナーの内面の問題が結婚してから発覚し離婚、という流れが現代では最早テンプレート化している。そういった情報の流通速度は異常に早く、「結婚してもどうせ離婚する」といった極端な意見を生み出し、それを支持する人が急増している。
こうしたスピード離婚勢は相手選びで決定的なミスをしているし、結婚諦め勢はまだしてないのに決定つけるのは時期尚早である。

最後に決定的なミスついて話して、この記事を終えるとする。

どの点でミスをしているか。それは恋愛の時に「あなたはそのままでいい」と学習させている点である。

結婚と恋愛はよく言われるように、全く別の視点が必要である。恋愛は楽しいものだと考えているが、それが結婚生活でも楽しいという錯覚を生んでいる。

「結婚してからパートナーが変わってしまった」という話をあなたも耳にしたことはないだろうか。私から言わせてみれば、変わらない方がおかしいし、相手に合わせて自分の価値観を変えてあげることこそ愛なのである。

自分のパートナーにその素質があるのかをいつ気がつけばいいかと言えば、恋愛の段階に他ならない。恋愛している時に相手が自分に合わせて価値観を変化させるという経験をしておくべきだ。

例えば、インドア派男とアウトドア派女のカップルで考えてみてほしい。一見すると価値観が真逆のカップルであるが、彼氏のギターの趣味を彼女が一緒にやってみて楽しんだり、彼女のディズニーランド好きに合わせて彼氏も一緒にカチューシャ買って楽しんだりして、相手の考え方や感じ方を少しずつ自分の中に取り込んでみよう。そうすることによって、人はパートナーが自分のために頑張ってくれているという点を過大評価してくれる。

こういった違いを理解しようとする営みが結婚生活では絶対求められている。というよりも、結婚生活とはこれの繰り返しのように思う。
だからこそ、人は絶対無理だという趣味や全く理解できない考え方をはっきりさせておかなければいけない。恋愛の意義はそこにあると思う。相手との今後を考えるならば楽しむだけでは決してダメなのである。

また、ありのままを許容してもらいたいというような人はその考え方を根本的に変えることをオススメしたい。多少でも気に入られる努力をするから、相手にとって居心地のいい人間になれる。そして、その努力を相手は評価するのである。

気に入られる努力のし過ぎとの境が分からなくなるので、これに関しては別の記事にしようと思うが、いずれにせよ、

「このままでいい」「今の自分を好きになってくれる人がいい」という人がこの世で最も嫌われる甘えん坊である。


私はそれがある意味許されてしまうのが恋愛の怖いところだと思う。もし仮に今のままで許されていると思っているならば、それは決して今のままを認めてくれているからではない。許そうと努力している方の負担の上で成り立っていることを胸に刻んでおくべきだろう。

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