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「余力の水」を残す生き方のススメ

いい性格とはどういうものだろうか。

人によって「性格がいい」と感じる瞬間は違うかもしれない。ある人は自分と同じ意見を持っていることかもしれない。またある人は自分に優しくしてくれることかもしれない。

私が「性格いい」と感じる人は、たいてい温厚な人である。具体的にいうと「テンションの上がり幅と下がり幅の上限が同じ」であることだ。

めちゃくちゃポジティブな人は、私からすれば温厚とは言わない。酷い言い方ではあるが、ポジティブな思考に取り憑かれているだけである。本当に温厚な人は他人のネガティブに合わせることができる人だ。それが自分の中にない感覚であっても、できる限り合わせることができる人である。

だからテンションが常に上がったり下がったりする人という意味ではない。相手の様子に合わせてテンションの調子をチューニングできる人という意味であり、そのためには下がり幅も上がり幅と同じくらいの上限が必要だと思う。

要するに「性格がいい」とは、

相手に合わせる「余力がある」ことである。

この余力をどう身につけていくのかを考えていきたい。

余力はコップの中の水で喩えることができる。コップの中に半分水が入っている時、あなたは「まだ半分」と捉えるか「もう半分」と捉えるかという質問を聞いたことがあるだろうか。私からすればどっちでもいいのだが、要するに余力は水そのものである。そしてコップは余力の器とでもしよう。

余力を身につけるというのはその器に「どうやって水を入れるか」と言い換えることができる。自分に余裕がある時に人は他人の話をきちんと聞くことができる。これは水で言うなら、相手のコップに自分の水を注ぐことである。その時減った水を自分でコップに注ぐ方法がないと枯れてしまう。

このコップは大きければ良いというものでもない。なぜなら、たくさん相手に合わせることができる反面、入れる水の量も多くなければいけないからだ。相手に合わせたことで減った水が満たされるまでに時間がかかるのである。逆に小さすぎても良くない。相手に合わせる能力がそもそも低いことになるからだ。

つまり、ここでいう余力の水は「相手に分け与えるもの」なのである。実生活の中で言えば、お金である。お金ならあればあるほどいいような気もするが、お金は持ち過ぎると人は変わってしまう。なぜかというと、自分の中の許容範囲を超えて扱いこなせなくなるからである。人間は財布に入れられる以上のお金をきちんと扱いこなすのは難しいのである。宝くじで億万長者になった人が数年で破産するのはそういう原理である。

ではなぜお金で喩えないのか。それはお金でいう財布と水のコップでは、自分の置かれている環境によって容量が変化するかどうかの違いがあるからだ。

財布はどこに行っても財布の大きさはさほど変わらない。GUCCIだろうがルイヴィトンだろうがその辺の雑貨屋の財布であっても容量にあまり変わりはない。
だがこの心のコップは場所が変わればコップの総量も変わる。このコップは環境の影響を大きく受ける。

あなたは家族と友達に対しての接し方は完全に同じであるか。おそらく違うだろう。なぜか。求めているものが違うからである。

家族には安心感を求めている。
友達には安全性を求めている。

この視点の違いこそが余力に大きく関わる。
安心感とは「自分が安らげるかどうか」である。安全性とは「自分が危害を加えられないかどうか」である。一見すると同じように思えても、安心感は主観であり、安全性は客観である。主観には目指す方向性に際限がないが、客観には目指す方向性がある程度決まっている。だから、友達にはなれるけど家族にはなれないという人が出てくるのである。というよりもそういう人がほとんどなのである。

要するに、元々自分が持つ許容範囲を超えた相手と付き合おうとすると、自分も相手に求めるものが大きくなる。故に、付き合っていく余力がなくなる。人付き合いはこの器のバランスが非常に大切であると私は考えている。

話が逸れたが、ではどう回復するのかということだ。答えはシンプルで好きなものに浸る時間を作ることである。これが出来なくて困っているんだ、それに浸る心の余裕がないんだが、という声が聞こえてきそうだ。

ポイントはコップの底に水を残すことだ。頑張り過ぎる人は枯れてから水を入れようとする。だが、自分を労るのにもその水を使うということが意識できていない。結局、自分の水を1番飲むのは自分である。余力を残すというのは自分が飲む分の水をコップに残しておくことである。

例えば、職場に好きなアニメのフィギュアが置けるならおこう。ダメならスマホの待受に設定しておこう。パソコン作業ならパソコンの待ち受けでもいい。仕事時間中1秒でも仕事から意識が離れるなら大丈夫である。

そして、どれくらい飲めば渇きを感じなくなるかを知っておくことも大切である。水も飲み過ぎると中毒になって最悪死に至る。だが、水ならいくら飲んでもいいと考えている人がいる。それがまず良くないところである。そして飲む場所が砂漠を想定しているのではないかとも思う。

要するに、飲めない環境だから辛いだけということももちろんあるのだ。その時は何としてもやめよう。金銭を稼ぐよりも大切なことはこの世に山ほどあるが、そのうちの一つが「自分が幸せを感じること」である。感じるためにお金を稼ぐという人もいるが、お金は私たちに何もしてくれない。お金が有意義な道具になるのは使う自分次第だ。

こういった視点がそもそもズレている人もいるので、もしハッとさせられた方がいたら、ぜひとも無理なく変えてほしいと心から願っている。

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