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これだから仕事が黒くなる

YouTubeで「教員のなり手」不足が取り上げたニュースを見た。その教員不足を解消するための方法として、教職採用試験が大学3年次からでも受けることができるようになる、と言った内容であった。

教員がブラックな働き方をしていることは今更取り上げる必要もないくらい有名な話である。一刻も早い解消を教員でない私も心から願っている。

上記の内容を解決策として決定しているのであれば、日本のお偉いさんは根本的なところを見逃しているのではないかと素人ながら思う。その点について私の見解を述べていきたい。

まず何を見逃しているのかと言えば、教職になりたい人がそもそも減っていることに対して、試験の受付年次の引き下げは変だということだ。受け手が少ないんだから、受ける人の年齢を引き下げても根本的に変わらない。それに3年が受けてもその人は次の年は4年として大学に通う。要するに、受ける年が前倒しは人数不足の補填にならない。

そして引き下げたことで受ける人が仮に増えたとして、その人たちの試験対策時間が想定よりも早まることである。一刻も早く教員になりたい人がいるのかもしれないが、その人たちは大学の勉強と並行して採用試験の準備をしなくてはいけないので、勉強時間の確保がかなり難しくなる。詰め込み型の勉強で増やしたい先生を増やすことが未来の日本のためになるかは些か疑問である。

そしてどっちもこなせる大学生が果たして日本に何人いるのか、それにそこまでして教員になりたい人が果たしているのか…
採用試験の対策で大学の単位を落とせば、それはその人が教員になる以前の問題がある。教員になりたい人が本来すべき学部の勉強のせいで教員になれなくなるのは本末転倒である。

まさに二兎追うものは一途も得ずである。

これは問題の表層に過ぎないだろう。なぜなら採用後に継続しなければ人手不足は解消しないからだ。穴の空いたお風呂には真っ先に穴を塞ぐべきだ。今の教員数の減少に対する対応策は、この風呂に水が抜けるよりも多い水を加えているようなものであり、いつかは教員が尽きてしまう。つまり今の教員数をいかに減らさない対策を素早く行えるかどうかに焦点を当てるべきである

ではその穴は一体何かということだが、業務過多に他ならない。私が学生だった時代の先生はテストや宿題の採点、そして成績表のコメントなどが全て手書きであった。きっと今もそうであろう。その事務作業に授業準備、さらには部活動の顧問等の課外活動まで多岐にわたる。他にもしなくてはいけない仕事があり、そのどれもがその先生でなければいけないものである。

故に、1人でやらなければいけない仕事をいかに減らすシステムを構築できるかが今日本が頑張るべき対策である。その1人仕事の中には「これ本当にいるのか」と言えるような仕事もある。

政府は労働時間が長いことを問題視している。それゆえに、労働時間を削っているが、業務が多くて時間が伸びてるわけだから、労働時間を短くしたら苦しくなるだけだ。

こうした結果として、現職員を追い込む解決法となっていると同時に、生徒の面倒を見るという責任まで追わされている。果たして学校の先生は学校に関わることを全てやらなきゃいけないのだろうか…

このような作業工程自体を減らす工夫が増えない背景には、効率化をよく思わない風潮があるように思う。要するに、手間をかけることがいい仕事につながると考えているから削らない方がいいという発想である

少し話は変わるが、私は塾講師として3年ほど働いていたことがある。勉強の内容を覚えられない人が授業をどう聞いているのかを知るのは個人的に好きだった。だが、塾の目的は生徒が自分の成績を上げることである。その手伝いをしている私たちは親にどんな授業をしたかの報告書を1ヶ月ごとに作成していた。

ある日、生徒のバッグからくちゃくちゃになった指導報告書が出てきた。理由は生徒の渡し忘れもあるが、聞いてみたら生徒の親がそもそも読んでいないということを知った。一生懸命書いた指導報告書は生徒のバッグの肥やしになっていた。

要するに、ある者にとっては義務だと思うことが相手方にとっては邪魔だったりする。無くすべき仕事はこういった類のものではないだろうか。つまり、

一方通行の仕事がこの世にはあって、そのせいでブラックになっている可能性がある。

このような作業は企業のイメージを保つためにやっている。塾でいえば、指導報告書は授業をきちんと行っていますという意思表示であり、万が一仕事で詰められた時の保険だという側面である。だが、この保険を問い詰めてくる親はそもそもいない。なぜなら親は勉強に関していえば、ノータッチでいきたいから塾に入れているのだ。嫌なら辞めていくだけであり、生徒の授業内容を報告しても、夏期講習の営業をかけられる親子の様子からして、授業の本質を理解している様子はまるでない。報告書作成の時間があるなら、少しでも授業してくれた方が親としては喜ぶのである。

こうした作業への愛着を何とかできない限り、日本人の働き方はますますブラックになっていくだろう。必要とされている作業がなぜ必要なのか、今一度見つめ直すことが早急に望まれる。

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