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できる会社員ほどモラハラになりやすい

会社組織には、ある程度の論理性があることは大切であると思う。その会社が大きければ大きいほど、その組織のメンバーを束ねるためのルールは厳しいものになる。そのためにメンバーはそれなりの地頭力を求められて、頭の固い社内ルールをうまく切り抜けたり、守る従順さが仕事そのものよりも大切になることもある。

こうした企業に毎日のように働きにいけば、そうした理屈が自分の中にいやでもインストールされてきて、無意識の内に私生活に影響が出るようになるだろう。

私の父は誰もが知る大手の会社で勤めている。その中ではブラック企業とはまた違う理不尽な仕事が求められたり、使い物にならない社員を取りまとめたりと責任やストレスがやたらかかったに違いない。

家では彼が会社で仕事ができるという話は全く聞かないが、大企業を一度も辞めることなく定年退職できたのは、時代の流れや自分の置かれている環境とともに父が培ってきた会社組織の生き方の知恵による部分が大きいように思う。

そんな家では大らかな父だが、何がしかのきっかけでとてつもなく頑固になる瞬間がある。原因は全く分からない。ただ普段の生活でとても我慢しながら生きていることは間違いないだろう。それでも現状は幸せなのかもしれないが、家庭は自分一人であれば感じることがなかったかもしれないストレスを生み出す要因であり、それを家庭で発散することが難しいのかもしれない。

そういう時にふと、大企業で培ったであろう論理を振りかざしてくる瞬間がある。それはどういう類いのものかと言えば「自分のやり方が絶対だ」という見方である。

例えば、そこまで綺麗好きではなくても部屋を片付ける。この時掃除の仕方は人それぞれだが、彼は自分のやり方が最も効率よく掃除ができると言い張るのである。そのやり方は極めて単純で、自分が使ってないものをゴミ袋に詰め込み捨てるというものだったりする。

たしかに掃除は出来ているが、それによって捨てなくていいものまで捨てる羽目になる。例えば、他の人の安心感である。掃除によって部屋が綺麗になったことと引き換えに、荷物を勝手に捨てられたその持ち主(ここでは母や兄や私)の心の平穏も同時に捨てることになる。

つまり、理論派は多少なりとも「自分勝手」という側面を持つ。そしてその自分勝手が「相手のためにもなっている」と本気で考えていたりする。効率的な生活が送れればストレスがかからなくていい"に決まってる"という自信がどこか感じられる。

そういう考え方を持つ人の多くは理系である。なぜかと言われれば、抽象的なものを研究したりするに論理的な思考が会社にマッチしやすいからだ。

もちろん考え方は間違いではない。言いたいことは分かるし、むしろそう出来ることが望ましいことの方が多い。ただ「相手」の視点が欠けているのである。客観的に見て正しいと理解できることとそれに納得することは別である。言い換えれば、

客観的な視点は目の前の相手にとってどうなのかという初歩的な部分を考慮出来ていないことがある。

これが顕著に現れるのが結婚生活である。特に高所得者との結婚である。彼らは日々効率化を図る。そうした人物は客観的に見て人格者であることもしばしばある。だが、効率化したところで一日の忙しさの総量は変わらない、むしろ体感的にはもっと忙しく感じるだろう。

効率的に仕事ができるということはそもそも仕事ができる人ということだ。部署にそんな人がいたらその人に仕事を振りたくなるだろう。そして効率的に進めて、昇進し、さらに仕事が舞い込んできて効率化、というスパイラルが生まれる。非常にいい流れのようにも見える。

だが、これは無限にできない。脳みそが処理できる量に限りがあるからであり、そしてその分脳みそにストレスかかる。このストレスをどこで発散するのかというと、家庭である。これがモラハラの誕生のメカニズムである。

要するに仕事ができる人ほどモラハラになりやすい。

忙しくてモラハラになってない人は、そのストレスを職場で上手く吐き出している。そしてそれは天性のものだろう。上司の方がストレスを抱えており、そのストレスの捌け口は部下である。伝え方を間違えれば、そこにはパワハラが控えているからだ。

だから、たいていは自分の仕事のストレスを発散し切れず、家庭に持ち込み、会社で身につけてしまった論理的な思考でパートナーを追い込むことでストレスを発散している。そして、それが起こるのは悪気があるからではない。「相手の生活をより良くするため」に教えてあげているというスタンスであることが多い

だが、初めに言ったように論理は目の前の人を考慮していない可能性がある。不特定多数に当てはまる原理原則が目の前のパートナーにも当てはまるだろうという思い込みは捨てるべきだろう。だが前提として、彼らは忙しいのである。忙しくならないようにするための効率化の術をみすみす捨てるかと言われると甚だ疑問である。

なので、解決策はモラハラの思考をインストールして前もって対策する、もしくは理論的な人に近づかない、このどちらかである。生産性を重視している人が他人にも求めるかどうかは人それぞれであるが、生活していく内に居心地が段々悪くなるのは見えている。

やはり考え方が似た人を選ぶのがいいのかもしれない。

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