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After東京五輪~これから新体操はどこに向かうのか? <10>

2018~2019年、フェアリージャパンの快進撃

 2020年東京五輪への期待がおおいに膨らむ形で2017年を終えた日本だったが、2018年に日本にとってはやや不利に働きそうなルール改正が行われた。新体操のルールは五輪の翌年に変更されるので2017年から新しいルールになったばかりのため、2018年の改正はいわばマイナーチェンジだったが、これが東京五輪に大きな影響を与えることになる。
 2017年には「D得点は上限10点」だったのが、2018年の変更で「上限なし」になった。その結果、ロシアのD得点で比較してみると、2017年は10.000、2018年は13.700(DA8.4)、2019年は21.000(DA14.8)、そして2021年の東京五輪時には37.800(DA31.2)まで上がっている。DAとは「手具難度」を指し、手具を使って様々な技を行うことでどんどん得点を積み上げることができるのがこの2018年ルールだった。2017年からわずか4年の間で新体操は「手具操作を詰め込むことで点数を稼げるスポーツ」に変貌していった。
 2017年の世界選手権で42年ぶりのメダル獲得を果たしたフェアリージャパンも、杉本早裕吏と鈴木歩佳という器用性に長けた2人を中心にこのルール変更に果敢に食らいつき、2018年の世界選手権ではD14.600(DA8.0)とロシアにも勝るD得点をマーク、種目別決勝「フープ×5」では銀メダルも獲得している。2019年世界選手権でも「フープ&クラブ」でD21.100(DA14.9)これもロシアにひけをとらない得点で、この年は「ボール×5」では種目別金メダルも獲得したのだった。
 もともと日本人は器用性の高い人種だと言われてきた。振り返れば、団体総合5位という鮮烈な五輪団体デビューを果たしたシドニー五輪のころ、日本の団体演技には独自性があり、その同調性や技術の高さ、アイデアの面白さは世界でも評価されていた。2010年以降、ロシア化が進み、国際基準のチームへとすっかりあか抜け、「ロシアが正義」という空気にあった新体操の世界での評価は上がっていった、その結果、世界選手権での複数のメダル獲得、2019年には夢だと思っていた金メダルも獲得できたのだ。
 「2020年の東京五輪でなんとしてもメダルを!」という目標に向かってのこの強化策はたしかに功を奏してきた。違う道を選んでいれば、という議論はもはや無意味だろう。あのときは、これしかなかった。この方針を突き進むために努力してきた人達すべて、必死だったと思うし、努力に努力を重ねてきたと思う。
 予定通り2020年に東京五輪が開催されていたならば、いろいろなことが違っていたかもしれない。が、世界中の誰も予想していなかった事態が起きてしまう。

そして2020年、新型コロナにより東京五輪延期が決まる

 2020年になり、世界中で猛威を振るい始めた新型コロナ感染症によるパンデミックにより、東京五輪は1年延期が決まる。海外との行き来もほぼできなくなり、フェアリージャパンはロシアでの長期合宿ができず、国内での強化に切り替わった。ロシアでの強化が始まった2010年からは毎年ワールドカップを転戦していたが、2020年はそのワールドカップ自体中止が相次ぎ、世界の新体操と急に疎遠になった。
 そんな中、「D得点青天井ルール」のもと、他国がどこまでDを上げてくるか分からない。それでも勝ち切るためには、できるだけD得点を上げていくしかない! 2021年に行われた東京五輪でのフェアリージャパンは、決勝の「ボール×5」で最も高いD得点を記録しているが35.700(DA29.5)だった。ミスも出てしまった試技で取りきれなかった点数もあるとは思うが、2019年の世界選手権から15点近く上げ、DAはほぼ倍だ。「最低でもメダル獲得は!」と考えていたのならば、このルールのもとではこれしかなかったのだろうとは理解できる。もはや、新体操自体がそういうスポーツになっていた。
 「できることとの折り合いをつけて、実施をていねいにまとめる」などという策では、太刀打ちできないことは誰の目にも明らかだった。
 五輪の延期がまだ決まっていなかった2020年1月、熊本県芦北市で行われたフェアリージャパンの公開練習を見た。前年12月には福岡県宗像市でも公開練習が行われていたが、12月の段階ではまだほとんど演技が形になっていなかったのが、1月にはフレーズ練習ではやろうとしていることが見えるところまできていた。技、技、技の苛酷な演技内容ではあっても、それが徐々にこなせるように選手たちは短期間でも成長しているのを見て、頼もしく思ったものだ。もともとは器用性では優位だった時代もあった日本だ。もしかしたら、この「青天井ルール」は日本に味方してくれるかもしれない。2020年1月の時点ではそんな風に思えなくもなかった。

「プラス1年」で苦境に追い込まれたフェアリージャパン

 しかし、そこからの1年半は、本当に誰もが予想していなかった日々だった。もちろん、それは日本だけでなく世界では日本以上にひどい状況になっていた国もある。「2021年の東京五輪に向けて」満ち足りた準備ができたチームはそう多くないかと思う。
 五輪が延期になったことで準備期間が1年長くなってしまうという思いもかけない事態は、リオ五輪後、ほぼ固定的なメンバーで戦ってきたフェアリージャパンにとっては大きかった。鈴木歩佳以外の選手はすべて社会人になっていた。最年長の松原梨恵は27歳。長い時間かけて作り上げてきたチームだけに「チームワークの良さは世界一」とキャプテンの杉本は胸を張っていたし、たしかに公開練習を見ていても、オンオフの切り替えの良さ、選手間、指導者との関係のフラットさが印象的で、いいチームだとは感じていた。
 が、ジュニアや高校生ならまだしも、大学も卒業する年齢になり、選手としてのキャリアの終わりも見えてきていると思っていただろう選手たちにとって、「さらに1年」はどんなにか負担だったろうと思う。
 それでも、そこで辞めることを決断するには、積み上げてきた日々が長すぎた。よりによって日本で開催される五輪だ。おそらく気持ちを奮い立たせ、体に鞭うって選手たちは2021年を目指す覚悟を決めたのではないかと思う。しかし、やはり「東京五輪の1年延期」で、フェアリージャパンは、明らかにエネルギー切れを起こしていた。そんな状態でも最後まで走り抜いたことは称賛に値するとは思うが、もしも延期にならなかったならば、と思わずにはいられない。

個人選手たちにも大きな影響があった「プラス1年」

 一方で、1年の延期がよいほうに働いたのが個人選手として東京五輪に出場した喜田純鈴(エンジェルRGカガワ日中/国士舘大学)、大岩千未来(イオン/国士舘大学)だ。
 東京五輪の出場枠が懸かった2019年の世界選手権では、皆川夏穂(イオン)が個人総合14位に入り、見事枠を獲得した。このとき、大岩も個人総合19位と皆川を猛追していた。大岩は2018、2019と2年連続して決勝進出し、まさに伸び盛りだった。一方、2018年に故障でロシアから日本に帰国していた喜田は復調しきっておらず、世界選手権には2018、2019年と2種目のみでの出場と、東京五輪出場に黄信号が灯っていた。
 喜田も、国内での強化に切り替えた2018年10月には全日本選手権でも優勝し、徐々に本領を発揮しつつあったが、2019年の時点では「皆川、大岩」が日本のトップ2が既定路線になっており、ロシアでの強化を離れた喜田が巻き返すのはかなり困難のようにも見えていた。
 また、大岩も成長著しいとはいえ、まだ不安定さもあり、2020年に東京五輪が行われ、出場枠が「1」のままならば、皆川が代表になる可能性が高いと思われていた。ところが、東京五輪が1年延期になったこともあり、そこから喜田、大岩が伸びた。とくに大岩は2021年5月、五輪前最後のワールドカップとなったペサロ大会で健闘し、ワールドカップポイントによる五輪枠を最後の最後に獲得し、日本の出場枠を「2」にしたのだ。
 2021年6月、高崎アリーナにおいて東京五輪日本代表を決定する「日本代表選考会」が行われ、4種目×2日間で3人は戦い抜き、代表の座を勝ち取ったのは喜田と大岩だった。2019年の世界選手権で日本の1つ目の出場枠を獲得した立役者だった皆川にとっては残酷な結末ではあったが、それも「1年延期」の影響は否定できなかった。
 2020年に東京五輪が行われていたら、果たして日本代表は誰だったのか? 一人だったのか、二人だったのか? 
 2020~2022年まで続いた新型コロナによるパンデミックは多くの人の人生を変え、多くの選手たちの人生を変えた。それは東京五輪を目指し、長い年月を過ごしてきた日本代表の団体選手、個人選手たちも例外ではなかったのだ。 <続く>

20年近くほぼ持ち出しで新体操の情報発信を続けてきました。サポートいただけたら、きっとそれはすぐに取材費につぎ込みます(笑)。