そんな時代もあったねと,いつか話せる日が来るわ。あんな時代もあったねと,きっと笑って話せるわ。(中島みゆき)。13年前の真実。言説的なレトリックを放棄すると勝利は難しい。
昨日(2024年2月6日)のブログでは,言説的なレトリックの持つ恐ろしさについて,お話ししました。
昨日のブログの続きを書くとお約束していましたので,今日は,ちょっと「衝撃的な」ブログ内容にしていきます。
昨日のブログでも書きましたが,私(河野)は,その昔,政治コンサルタント(選挙プランナー),そして,企業のための広報コンサルタントを務めていました。
言説的なレトリックを駆使して,候補者(政治家)を選挙で当選に導き,また,有名企業に広報戦略のアドバイスをして,マーケティングの拡大などを担当していました。
言説的なレトリックの基本は,人々(聴衆)が聞きたいことを,人々の感情が上手く煽らり立てられるように,導くことです。
そうすれば,マーケティングでも集票でも成功します。
その本質は,口だけのパフォーマンスなのですが,レトリックの大前提は,「それがレトリックだと見抜かれないようにすること」ですので,細心の注意を払って,伝えるメッセージは,すべて,その人(候補者・企業)の心から出た言葉だと思わせるような仕掛けを作ります。
つまりは,口だけのパフォーマンスを,いかにして,本心だと思わせ,共感や理解,賛同や同感を誘うかがレトリックの本髄です。
私は,かなり優秀なコンサルタント(プランナー)でしたので,多くの政治家や企業が,相談に訪れ,それなりに報酬もいただいていました。
アメリカやオランダの最新の知見を取り入れた科学的な選挙コンサルティングや広報コンサルティングは多くの人を魅了しました。
ところが,ある日,そういったレトリックだけの仕事がなんとなく嫌になりました。
レトリックを上手く使えば,欲しいものは,政治家のポジションだろうが,マーケティング上の莫大な収益だろうが,確実に手に入ります。
それがわかっていたからこそ,レトリックなしの人生に憧れていました。
そんな時に,故郷の広島県尾道市の市長選挙が2011年にありました。
いまから,13年程前のことです。
1期目の現職の市長は,元教育長でした。
その元教育長の市長は,他の対立候補を立候補させずに,自分だけが立候補して,無選挙で当選しようとしていました。
全国各地でよくある無選挙で,現職が延々と選ばれ続ける現象です。
私は,その時,尾道市の市立の大学の「特任教授」でした。
現職の市長は,私の職務上の「ボス」でもありました。
また,元教育長なので,教育に関しても,絶大な権限を持っていました。
そんな市長が,選挙もせずに再選されようとするのが,許せなくて,政治的な野望そのものはまったくなかった,私(河野)が立候補することにしました。
尾道市を激震させた,突然の立候補でした。
そして,私は,自分自身が選挙プランナーではありましたが,言説的レトリックを一切使用しない,選挙戦に突入しました。
保守的で,言説的レトリックを駆使する元教育長の市長に対して,私は,日本の田舎では到底通用しないようなアメリカ仕込みのメッセージで対抗しました。
レトリックを専門の学問とする私には,このメッセージ発信が不利だということは,当然,わかっていましたが,本心の赴くままに,自由に戦ってみたいという信念から,相手方の保守的な元教育長の市長が,「目の前の」,「現地」,「人」,「精神力」,「一生懸命」というような聞き手に好かれやすい言説的レトリックばかり使うのに対して,私は,一貫して,グルーバル基準のメッセージを発信してみました。
相手方と私(河野)のメッセージの違いは圧倒的でした。
田舎で受けそうなことばかり言う相手方と,常に未来型・欧米型のメッセージ発信をする私で,まったく水と油状態でした。
元教員でもある元教育長の市長は,なんと,「中学校教員時代は休日返上の部活動などで生徒に寄り添い」とまで,言っています。なんたる昭和の発想なのかと,当時も,私は目を丸くしたのを覚えています。
そして,極めつけは,「趣味は仕事」とインタビューで語り,この言説的なレトリックは,もはや,田舎では最強だなとも思いました。
それに対して,私(河野)は,選挙コンサルタントとしては,絶対にウケないと分かっているグローバルな視点でのメッセージを徹底して発信しました。
もはや,有権者向けというよりは,歴史に言葉を刻みたいと思っていたのかもしれません。
改革を主張する私と,どちらかと言えば,精神論・保守論を語る相手方の議論がかみ合うことはありませんでした。
こんなに違う候補者2人が,そして,両方とも,教育をバックグラウンドにしています。
面白い対照もありました。ローカルの人は笑えるかもしれませんが,
「相手方 VS 河野」の構図は,
尾道北高校 VS 尾道東高校
山口大学 VS 広島大学
元教育長 V S元特任教授
とローカルにライバル関係のある戦いでした。
田舎の年では考えられないような論戦が進んだので,一部のマスコミからは,河野の完敗で,100票も取れないのではないかなどと揶揄されました。
結果は,
河野の敗北ではありましたが,22,372人の方々の貴重な票をいただきました。
私の,到底,田舎では受け入れられないような,革新的,欧米的,未来的な政策と主張を,22,372人もの有権者の方が指示してくださったことは,本当に意外でしたし,心から感謝しています。
ところで,選挙プランナーとしては,私が,メインのスタッフとして参加した選挙戦で負けたことはありません。
落選が予想された候補者を,逆転当選に導いたこともあります。
自分自身の選挙はそもそも難しいのですが,私の場合,一切の言説的なレトリックを使わずに自分の選挙に挑戦してみて,確かに負けはしましたが,ある程度の人の賛同は得られるのだなということを確信しました。
もともと,自分自身が政治家になる野心はありませんでしたので,それ以来,選挙に立候補することはありませんでしたし,これからも選挙には立候補しません。
言説的なレトリックを使用するのも,自分自身に対しては,もう,まっぴらごめんです。
ただし,言説的なレトリックを使って,レベルが低く,合理性がない教員採用試験に合格したいという人がいるのであれば,いくらでも言説的なレトリックはご伝授します。
教員採用試験という,ほとんど無意味な試験にさえ合格すれば,正教諭として,活躍するチャンスがあるのであれば,言説的レトリックを使ってでも,まずは合格して,それから,改革やチャレンジに臨めばいいことです。
言説的なレトリックとは,小手先の受験テクニックとは,全く違います。
言説的なレトリックを使えば,教採の合格率は,限りなく100%に近づきます。
ただ,私自身は,言説的なレトリックを使って,レトリカ教採学院の宣伝をしたり,レトリカの集客をしようとは思いません。
言説的なレトリックを使えば,集客は簡単ですし,人気者になるのも簡単です。
いわゆる「バズる」というのも簡単です。
そんなことを私(河野)がしたくない・しないと決めた原点が2011年の市長選挙でした。
今日のタイトルの,
そんな時代もあったねと,いつか話せる日が来るわ。
あんな時代もあったねと,きっと笑って話せるわ。
(中島みゆき)。
13年前の真実。言説的なレトリックを放棄すると勝利は難しい。
は,そんな想いを込めました。
笑って話せる日が来てよかったです。
河野正夫
レトリカ教採学院
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