好き嫌いの先、描くもの。
根本的に、好き嫌いは、存在しない。
あるのは、自分というフィルターだけ。
あれが好き、これが嫌い。
決めてるのは、いつだって、自分というフィルター。
好きは、
自分に合う、理想に似ている、全く知らない・違う世界、
心地よい世界、であること。
嫌いは、
知らない世界、自分と酷似である、自分の嫌な部分の投影、
生理的に嫌な世界で、あること。
あくまで、自分というフィルターで、ジャッジしているだけ。
本当は、好き嫌いを超越した、中庸の世界を知っているのに。
ジャッジするという、人間ゲームを楽しんでいるだけ。
ジャッジも、自分の器が創るもの。
歳を取るごと、人生経験をするほど、器は棘から、丸くなる。
今日も、器を丸くして、
好き嫌いのその先、中庸の世界を楽しんでいこう。
自分色で、何色になる、この世界を。
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