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見えていなかったものが見えた時

何も考えていない時には見えて、
これ、見えたらいいのになぁって思うものは見えない。

そうだよね、そんな都合よく知りたいことを知ることはできないよね、でもなぁ…なんて思ったりして。

相手の知りたいことほど知れなくて、知りたくなかったなぁっていうことほど本人からも周りからも情報が入ってくる。


そんな時は、どうすればいいんだ!って叫びたくなる。

私も探し中だけど、たまーにそういう時に役に立つのは、直球になること。
(とか言って、私も直球になんてなれない)

これは私は相手を選ばないとできないものなのだけど、直接本人に聞いてみる。そうしないと、変に誤解して、ギクシャクしてしまうから。

1番嫌なのは、お互いに勝手に勘違いして、関係が壊れてしまうこと。これが起きてしまうと、私は修復できない。

修復できるかもしれないほどの深い関係だったとしても、私は修復することができない。壊れてしまったら、どれだけ直したいと思っても直すことができない。

だから私はなかなか直球になんてなれない。じゃあ役に立たないじゃん!って、書きながら自分でツッコミを入れていますが。



でもたまに、知りたいなぁ、見たいなぁと思っていたものが、不意に見えること(物理的にではなくて)がある。

そんな時は、びっくりびっくりだけど、素直にそれを受け取るのみ。

例えそれが自分の望む答えではなかったとしても、そのタイミングで入ってきたことに意味があるはず、と思って、感情とは結びつけずに情報として取り込む。

最近は慣れたからなのか、この一連の作業がうまくいくことが多い。

今までは、急に起こることに対応するのが苦手で、そんな状況に置かれたら何もしないか、少し場所をずらして影響をなるべく受けないようにするしか動けなかった。

そういう意味では、臨機応変にとは少し違うけれど、急なことがあっても受け止めることができるようになった。




自分で望むことが手に入れられるのが1番いいのかも知れないけど、この世界はそんなに都合よく生きていける場所ではないことは、さすがに20年以上生きてきて、わかっている。

だから、なるべく自分が納得できる形で、色々なことに対応できるようになりたいなぁなんて、思っている。


見えていなかったものが見えた時、自分にどんな変化があるかを知るのは、おもしろい。自分がどう反応するのか、どんな感覚になるのか、どう対応するのか、どうしたいと思うのか。

そんなことを、冷静に、客観的に見るのがおもしろい。そんなに悠長なことを言ってられる時なんてそんなにないけど。

その場で冷静に考えられたり、対応できたり。私には程遠い姿だけど、そんなスマートな女性に憧れる。


私はそんな女性になることはできないけれど、理想ではなくて、納得できる選択ができたらなぁなんて考えている。


無理せず。



ゆっくり思考したい。

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