舞台:ブリキの太鼓感想(ネタバレあり)

5月12日よりサンモールスタジオで上演の「ブリキの太鼓」を見てきました。
トリプルキャストの一人芝居で、宮地大介さんの初日の回行ってきました。
もうあらすじとかそういうのはさておき、何となく書いておきたいなって事を書いておく。

「大人になりたくない」と「子供のままでいたい」は似て非なるものだなと思ったのが今回の素直な感想だ。かなり頭脳や精神が発達したが故、早々に大人に絶望し成長を自ら止めたオスカル。最初に出てきた宮地さんはどう見てもサラリーマンのおじさんで、飲み会帰りに一人でコンビニでビール買って公園で飲んでる。
これ、今思うと成長したオスカルの姿なのかなと思う。
スーツを脱ぎ捨て、シャツとスラックスでタンクトップが透けてる宮地さんは、段々と質素な子供の姿に見える。
物語はどんどん進む。戦火に巻きこまれて大人が死んでゆくし、オスカルは年をとっても子供のままだ。
成長しないと決めているから、成長のタイミングを自ら手放しているのが分かる。
太鼓がヘルメットになっていたのも、戦争のメタファーというより子供でいられない境界線があそこだったんじゃないかなって感じもした。
私は最初に誘われた段階で師匠についていくべきだったんじゃないかって思ってる。実際、後々に師匠についてフランスの巡業をするオスカルはのびのびして楽しそうだったから。
でも、何回か断ったのは「成長をしない」という決意と、本当に子供だったからっていうのがあったんだろうな。

演じている宮地さんが、たまに子供のような表情を見せる。太鼓を大事に抱えていたり、戸棚の上の太鼓を取ろうとしたところだったり。そして「中身大人なんだよね?」と聞きたくなるような、本当に子供のような事を言う瞬間もある。マツェラートが亡くなった時の「棺にお玉入れてあげればよかった」っていうセリフがあったんだけど、料理人だったマツェラートを弔っているっていうよりかは、遠くに行くんだから玩具持っていけばよかったみたいなニュアンスに聞こえた。弔ってるように聞こえないからと言って死者を蔑ろにしてるわけじゃなく、言葉の端っこにそういう物を感じた。

かなり終盤まで子供を残したままのオスカルだったが、ガラスを割れるほどの声が出ない!と分かった瞬間の宮地さんの顔が一気に年を取ったように見えたのが凄かった。
戦火に巻き込まれても、両親が死んでも、女性といい雰囲気になっても、ずっと屈託のなかった宮地さんのオスカルが、あの瞬間に一気に子供じゃなくなった。
もう癇癪を起して騒ぎ立てていい年じゃないんだって、あの一瞬で全部わからされたんだと思ったら震えた。
最後に「なすべきだ。」と呟いた宮地さんからは、残念そうというか諦めというか、ほんのり絶望を感じた。

上手くまとまらない感想は箇条書き

・実はちょっとだけ「田園に死す」っぽいなと思った
・ソ連が攻めてきたあたりで会場が寒くなったので『寒い地方が来てるから?!』と思ったら、演出とかじゃなくてクーラーついただけだった
・ソーダパウダー、やらしい~
・ドイツ文学、全然馴染みがないと思ったらゲーテもカフカもヘルマン・ヘッセもドイツの方でしたな。
・途中、シュールレアリズムについて触れるセリフがあったが個人的にはシュールレアリズムとかフランス文学の方がなんとなく肌に合ってるな……。

宮地さんの舞台を見るのは去年のドン・カルロス以来だった。
アフタートークで久々に舞台中じゃない宮地さんを見たけど、相変わらず控え目な可愛いおじさまだった。でも、上演中に沸々と何かが燃えている様子が、やっぱり見てて好きだなと思った。

あくまで個人の感想なのであしからず。もしかしたら後日何かに気づくかもしれない。

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