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日本人女性の声はなぜ高いのか

俗説とデータ

こんな俗説をしばしば聞く。

「日本人女性の声が高いのは、日本の男尊女卑やロリコン文化のせいだ!」

この俗説は頻繁に繰り返され、再生産されている。

これについて2年ほど前の須藤玲司氏の連投に面白く有益な情報が含まれていた。Erik Bernhardsson氏はブログで、様々な言語話者の声の高さを比較している

比較のため、Bernhardsson氏のグラフから日本語話者と英語話者の部分だけを抜粋してみよう。確かに日本語を話す女性の声は高い。しかし、日本語を話す男性の声も同様に高いではないか!

英語話者と日本語話者の声の高さの比較(Bernhardsson氏のグラフから抜粋)

そう、「日本人女性の声が高い」のではない。「男女問わず、日本語話者の声が高い」のだ。このデータを見る限り、日本語圏と英語圏で相対的な男女差はほとんどない。(もっとも、声の高さの比率は単純に基本周波数のみで比べられるわけではないので、その比較には多少困難が伴う。)

ひょっとすると、言語ごとに発音しやすい高さというものがあり、それに応じて違っているのではないか、とBernhardsson氏は推測する。実にありそうな話だ。

(このデータの収集はちょっとグレーな方法で行われているらしく、学術論文になっていないのは残念だ。こういう興味深い研究が学術論文として発表されるといいと思う。)

「日本人女性の声の高さ」は「アメリカ人男性の声の低さ」

さて、日本語話者の声の高さは、男女問わず英語話者よりも高い。すると、日本語話者の男性の声の高さは英語話者の男性と女性の中間であって英語話者の声のレンジの中に収まる。だが、日本語話者の女性の声は収まらないことになる。それで英語話者の耳には、「日本人女性の声は異常に高い」と耳につくわけだ。

そこに「従順で隷属的なアジアの女性」という人種差別的かつ性差別的な発想が混ざれば、容易に冒頭のおなじみの言説が生まれるわけだ。

さて、日本語話者の女性の声の高さが英語話者の声のレンジの上方に飛び出すのと同様に、逆に英語話者の男性の声は日本語話者の声のレンジの下方に飛び出すことになる。思い当たる節は大いにあるではないか。英語話者の男性の声は違和感を覚えるほど低い。これは私たちが常日頃実際に感じていることだ!

こちらはコメディアンの矢作兼氏とアイクぬわら氏の会話。

矢作:サード。さあ言ってみ?
ぬわら:サード。
矢作:これを英語にして?
ぬわら:Third.
矢作:ほら、すっげぇ、急にいい声でやんじゃん。
ぬわら:あ、そうか~(笑)
矢作:なんか、急にオペラ歌手みたいに、なんか……。

「英語をしゃべるとイケボになるアイクが面白すぎたwww【切り抜き】」より

日本語話者にとって、英語話者の男性の発声はまさに「オペラ歌手みたい」なのだ。

アメリカ人が日本人女性の声に感じる「高すぎる」という違和感と、日本人がアメリカ人男性の声に感じる「低すぎる」という違和感。二つの現象が統一的に説明できる。これは面白い!

自由な声で話そう

須藤氏はこの俗説の問題点を指摘する。

同感だ。

日本人女性の「アニメ声」に、パターナリスティックにお説教をしたく思うのは別にその人の勝手だが、若い女性の間に変わった発声が流行りがちなのは日本ばかりではない。最近アメリカの女性の間では、低い独特な発声(Vocal Fryと呼ばれる)が流行っているという。こちらの方がよほど奇妙なジェンダー習慣だろう。もちろん、自分がそう思うからと言ってそれをやめさせようというほどの驕り高ぶった自文化中心主義を、私はとてもとても取る気にはならないが!

ちなみに日本の場合、男性が女性のような高い声で話すのも好意的に受け止められることがある。村瀬歩氏は男性だが、女性のように高いアニメ声で人気の声優だ。さかなクン氏のように甲高い声で話す男性に対しても、日本社会はおおむね好意的だ。

アメリカでは日本女性の高い声は侮蔑の対象になるという。男性でも女性でも高い声で話してもなんの支障もない社会の方がずっといいと、私は思う。

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