見出し画像

庭の状態から自分の心を見つめた朝

「いってらっしゃい」と子どもの登校を見送った後、家の敷地内に落ちている枯れ葉が目に入り拾う。
拾うためにしゃがんで目線が低くなると、ここにも枯れ葉が、ここには草が、と次々気になり作業は続く。
柊の花がいい匂い。かわいい花いっぱいつけて。ありがとう、かわいい。
あ、道路にうちの柊の葉っぱが。それも拾う。
花壇に目をやると、もう終わった花がそのままなのに気づき、それも片付け始める。
全体は枯れているのにまだひとつ小さい花が咲いていたりすると、なんかかわいそうになって片付けられない。
だからうちの花壇はきれいに整わないのだな。
雑草についても同じで、かわいい花が咲いていると「ああ、かわいい。」などと思い、抜くことができない。
それを言ったら小6の息子から「庭とかやる人に向いてないんじゃない?」と言われてしまった。
うん、向いてないよー。
だからやってない。今は。

この家に引っ越してきたときは花いっぱいにしたくていろいろ植えていて、季節ごとに何を植えようか考えるのが楽しみだった。
種や球根から芽を出して育っていくのを見るのが特に好きで「かわいいねぇ。」などと愛でたりしていた。
そのうち体調が悪いことが多くなってあまり手入れができなくなったのだが、そのときに植えて今も元気な植物たちはたくさんあるし、土の部分が多いから草は生える。木もあるから葉っぱも落ちるし、枝だって伸びていく。周りも木のある家が多いから近所からも枯れ葉は飛んできて落ちる。
夫は家の外周りがどうであろうが気にしない人で草が生えていようが枯れ葉が落ちていようが全く気にならないようでやってくれないから(以前は芝生の手入れはやってくれていたが今は全くやらない)、私がやらなければやる人がいない。
私は今は元気になったが、元気になったから仕事をしようと思っていろいろ始めたので、庭を手入れしている時間が惜しかったり、なんか庭が乱れてるなと思ったときに暑かったり寒かったりすると、その中で作業したらその後体調崩しそう、と思ってやらない。

…違う。言い訳だね。本当は、庭を整えることへの興味が薄れたのだ。
そうだ。それだ。
庭について、以前は「素敵な庭にしたい」と思っていたのが、今は「乱れているから何とか整えなきゃ」と思うようになっている。
…心の余裕がなくなったのかな…。
庭も乱れているが、私の心も乱れている。
なんかこう、エネルギーの配分とか時間の配分とかがうまくできていなくて、生活のリズムがきちっと整っていないように感じる。
いろいろなことを少しずつやっているからまとまりがないのか?
どこに向かおう、という軸のようなものがないからか。
そう、今とても迷っているのだ。

少し前から始めたことが、それをやろうと思ったのは自分がやりたい仕事の方向へ向かっていけると思ったからなのだが、始めてみたらそうなのかが分からなくなった。私はどこへ向かっているのか。そう思うようになった。ものすごく、ものすごく不安になった。私の進んでいる方向は合っているのか。行きたい方とは違う方へ進んでいないか。
今進行中の仕事は最後まできちんとやりたいと思うし(それをやっているのは楽しいし、得るものもあるだろう)、入っている予定のこともちゃんとやろうと思っている。
それらをやり終えたところで何か見えるものがあるかな、とも思う。とにかくやってみなければ分からない、とも。
あと、自分が何を中心にやっていきたいのか。
それらがはっきりすればすっきりとした気持ちで意欲的な毎日を過ごすことができるようになるかな。

そしたら庭にも心を注ぐようになるかも?

とりあえず、伸びすぎた枝を切るために電動の高枝切りを買おうと思う。


サポートいただけましたら、息子のために牛乳を買います🥛