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フィリピン留学 セブ行ってきた話 つづきのつづきのつづき

向こうでの生活には1週間くらいで慣れたと思う。とりあえずは友達も出来たし、授業出るのも自然になった。向こう、て言い方するといかにも海外行ってきました感あるな。

授業はだいたい9時とか10時くらいにスタートだったと思う。校舎の中は移動時間になると生徒がごちゃごちゃしてた。俺は全部1対1の個別授業だった。個別の授業の部屋は何に似てたかな。部屋の広さはそんなでもない。コンビニ一個分くらい。で、1メートル間隔くらいでブースで仕切られてた。一蘭の席が全部2人席的な。それぞれのブースに扉がついてて中入ると狭い空間で先生と二人。ほぼ現地の女性だった。おれは一日6コマくらいだった。一つの授業が60分くらいだったかな。テキストは章ごとにワンセンテンス例文があって、その表現方法を学ぶ的な。テキストは全部英語and挿絵だった。多くの人は挿絵で話の内容を推測してたみたい。学習方式はNHKの英会話講座に似てた、てかそのままだと思う。中学1、2年レベル。英語勉強した事ないって人には丁度良い感じ。で、俺はこれだと簡単過ぎたからテキスト無視でずっと会話してた。てか、俺がそういう風に希望を言った。文法の勉強は日本で出来るし。会話したいって言った。

先生にはフィリピンの文化を教えてもらった。印象的だったのはまずフィリピンで使われる言語。フィリピンの母国語ってタガログ語と英語だけど、人によってはコレに加えてボナキュラーラングエッジ(vernacular language)ってやつを使える。ボナキュラーラングエッジは「方言」ってんで訳されるけど、フィリピン人同士でも方言が違うと会話が成り立たないくらい違うとか。方言っつぅかもはや別言語扱い。なんならセブの言語でセブアノ語があったくらい。だからフィリピン人はマルチリンガルは普通だとか。タクシーの運ちゃんがトリリンガルでビビった。得意気だった。ビザヤ語とかイロイロ語(多分イロアノ語ってやつ)とかセブアノ語とか。てかタガログ語ってタガロって言ってた。発音全然違う。

あとバロットについて。フィリピンの伝統料理。早い話、ゆで卵。生まれる直前のもう鳥の形になっちゃってる卵を茹でたもの。先生はバロットは苦手って言ってた。生まれる直前になればなるほど高価なんだとか。学校の外にバロット売ってる屋台があって、韓国人の友達の一人がめっちゃハマってた。おれも一回食った。卵の殻むくと出汁みたいなんが出てきて衝撃だったけどうまかった。

交通ルールも衝撃だった。2車線が双方向に走ってる、要は4車線あるデカさの、しかもガンガン車走ってる道を信号なしで渡る。コツは止まってくれそうな車を見たら強気に手を挙げて一気にいくとか。スゲェ怖い。これが出来なくて来たばっかの時は近くのスーパーに行けなかった。逆にコレが出来る様になった時、「俺たちここの生活に慣れてきたな」って仲間内で笑ってた。

あとジプニーっていうバスの降り方。まあバスっていうか軽トラの荷台を広くして20人くらいがぎゅうぎゅうに乗ってるようなイメージなんだが。日本のバスみたいに「次降ります」のボタンはないわけだ。で、どうするかっつうと降りる直前でボディをガンガン叩くんだとさ。まじかよって思った。なんかの機会で一回乗ったんだよな〜なんつぅか、防犯的な意味で怖かった。だから移動は基本、ウーバータクシーを呼んでって感じだった。

あと格安のマッサージが学校の近くにあって韓国の友達とよく行ってた。トイレに水の溜まったでっかい甕と桶があってビビった。なんだこりゃと思ったが、水洗トイレ(手動)って事だった。カルチャーショック。おもしれえ。

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