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「なぜ、教育に改革が必要なのか」

「なぜ、教育に改革が必要なのか」と聞かたら、何と答えるだろうか。

 私はこう答える。

 「私が初めて教壇に立った二十代の頃からあまり変わっていないから」と。

 学校の役割は、子どもたち一人ひとりをただ伸ばすことではなく、平和な世の中が来ないのではないかと本気で思っていた。

 だから、どうすれば平和が勝ち取れるかというのを学ぶところが学校だと思っていたが、若手の時はうまく説明することができなかった。

 ずっと実践を積み重ねながら、だんだん答えが見えてきた気がしている。

 それと同時に、日本社会や世界が今のようにどんどん変化し、ますます「自律を育む教育」が必要だと思うようになった。

 ところで、日本の大きな課題とは何だろう。

 世界経済も大きく変化した。

 少し今日のテーマから外れるかも知れないが、皆さんもご存知の通り、日本が急速に貧しくなりつつある実態が浮き彫りになっている。

 現実、日本の1人当たり名目GDPが2022年に台湾、23年には韓国に抜かれた。日本の低迷の最大の原因は、デジタル化の遅れなどによる「労働生産性の低さ」だ。

 予測では、27年に日韓、28年に日台が逆転するとしていたが、大幅な円安・ドル高でドル換算の金額が目減りすることで、逆転時期が前倒しになった。

 日本の1人当たりGDPは07年にシンガポール、14年に香港に抜かれた。NIES(新興工業国・地域)と呼ばれるアジア4カ国・地域全てに抜かれたことになる。

 円安の影響は我々の生活を少しずつ変化させているが、ここに京都にあるフォー◯-シーズンズホテルに宿泊した日本人の話がある。

 その方は、ホテルに篭って仕事をしていて、お腹が空いたのでホテルで「マグロ丼」を注文しようとした。
 金額を聞いて思わず受話器を落としたらしい。

 このマグロ丼一杯いくらだったと思いますか。

 「25,000円」

 タクシーに乗って餃子の王将に行かれたみたいです。

 テーマに戻そう。

 この30年間、賃金が上がっていない、その現状を全く変えられていないということ。日本企業への新産業への参入は進まず、ITも世界の先進国の中で後れを取っている。

 この「失われた30年」の問題はよく知られたことで、教育とどういう関係があるのかと思うだろう。

 しかし、賃金が上がらない理由は、国全体の経済力(購買力)が上がっていない=人口が増えていないことが最たるものであり、かつて世界の時価総額ランキングで、トップ50社のうち10社以上を日本企業が占めていた時代は、人口も順調に伸びていた。

 したがって、物をつくれば売れる、誰かが成功するビジネスモデルがあればそれを真似することで成功できた時代だった。

 ここからが問題だが、人口の増加が止まり、購買力が下がったことで、企業は商品を安く売らなくてはいけなくなり、当然労働者の賃金が減り労働環境が悪くなっていく。

 だから、日本企業においては「高くものを売る」力、つまり自分自身で考え、行動し、付加価値の高い仕事をする能力をつけなくてはならないのに、教育は依然として旧来のままになっている。

「物を考えなくてよかった時代の教育を、子どもたちにしてはいけない」

 逆に、ニーズがあるにも関わらず、不採算になることなどを理由に誰も参入したがらないような仕事にも目を向け、自分たちでアイデアを生み出し、他人とコラボレーションをしてビジネスに変えていくような子どもたちを育てていかなくてはならない。

 今の飽食の時代、(宿題やテスト、塾通いの機会を)与えられ続けている子どもたちは、もう自分では学びたいと思わなくなっている。

 だから自己決定・自己選択ができる子どもたちをつくらなければならない。

 私がやりたいのは、おかしくなった日本の教育を、現場レベルで「本質」に戻すことだと本気で思っている。

 教育委員会だろうが、校長だろうが、よっぽどの行動力とリーダーシップがない限り実現できないと思う。

 なぜなら、今も変わっていないのだから。

「この時代に、学校と教師が求められる教え方」

 科学技術が目覚ましい発展を遂げ、AIによる戦争が可能になりつつある一方、気候変動やエネルギーの枯渇など、自分の国だけでは解決できない問題が山積する時代に突入している。

 私は、このような問題に対し、教育改革のもう一つの役割は、「対立をどう解決するか」だと思う。

 文化も価値観も考え方も異なる人が集まるところでは、必ず対立が起こる。

 それを日本では、例えば学級を『心を一つに』『絆』『一致団結』というスローガンの下に、〝一足飛び〟にまとめようとしてしまう。

 様々な対立やトラブルを「心の教育」で解決しようとすると、結局は乱暴な教育になってしまう。

「七十にして己の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」。

 孔子はそう言った。

 孔子のような大人でさえ、70歳になって初めて、自分の心の赴くままに行動して人の道から逸れることはなくなったと言っている。

 それほど心のコントロールが難しいのが人間なのだから、対立を解決する「対話」を身につけなくてはならない。

 これが、私が子どもたちに伝え続けている「対話」の大切さであり、先述した二十代の新米教師時代からの志に繋がる道なのだ。

 もし仮に、私が学校の長をやることがあれば、その学校で設定する教育目標は、間違いなく「自律・対話・創造」だ。

 一度主体性を失った子どもたちの主体性を取り戻すことは非常に難しい。そのポイントは何かと言えば『自己決定させることができるかどうか』だ。

 また、連休明けから、子どもたちのいる現場でやってやろう。

 教科書には載っていない大切なこと。

 まずは、生徒全員で行う「論理的思考クイズ大会!」。やってやろう。

(出題予定問題)

 「明日、イギリスの女王が来日します。

  ケーキをつくりなさいと言われたら、あなたはどうしますか?」

(解答例)
・暖味な点について明確にできるか
・相手の視点に立てるか
・創造性のある解決策が出せるか
・自分のアイデアをまとめられるか

この観点から考えると、問題文には情報が不足しているので、

 ①いつ、どのような目的で供されるケーキなのかを確認する
 ②女王は高齢なため配慮が必要かもしれない、またどのようなお味をお好みか調べる
 ③ケーキを作ることに関する指示を出してきたのはどこか。依頼主の考えもあるかもしれないので確認する
 ④これまでに日本で召し上がったケーキの情報はないか、お気に入りの物はないか、新しい物を作った方がいいか
 ⑤もし宮中晩さん会で食事の最後に出される物であり、新しいケーキを出したいという依頼主の意向であれば、お体に配慮して日本的な抹茶やゆずを使った軽めのケーキを作成する

 このようなことが盛り込まれた解答が好ましい。

 実際に仕事においてざっくりした指示しかもらえなくても、目的を確認しさまざまな方向に配慮しながら、自分自身のアイデアを実現していく能力があるかがわかる。

さあ、本気で挑戦する大人の姿を子どもたちに見せていこう。

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