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記憶の箱をくすぐる

アラビヤン焼きそばは、自分にとってのソウルフードの一つだと思う。
このターバン巻きの怪しい笑顔、焼きそばソースのにおい、柔らかすぎる麺(私の好みで柔らかくしているところがある)が、記憶の箱をこちょこちょくすぐってくるような気がするのだ。
誰にだって、そういう固有の価値がある何気ないものがあるだろう。

作るときのコツは、具を入れず袋めんだけで、水分を多めに残すことだ。最後に付属の青のりをかける。この青のりが唯一の野菜のようなもので、とにかくこれだけでいい。
あくまでも我が家のコツ、だ。夫が彼氏だったころ、これを嬉々として作って食べていたら若干ひかれた。

焼きそばのくせに、湯を入れて置いておくカップ麺方式ではないので、手間がかかると嫌煙されたのか、一時期店舗に見かけなくなった。実家を離れ一人暮らしをしていた時、なかなか手に入らず恋しくなったものだ。最近行くようになったスーパーで見つけたときは心の中で小躍りした。
5分もあれば完成のお手頃さ、世間に受け入れられてよかったね。アラビヤン。

幼いころ、母と二人の昼によく食べていたのだと思う。
「アラビヤン焼きそばにする?」
この袋めんのパッケージで変わらず怪しげに笑うこの顔、手に取ってみているとおぼろげな記憶が、ぽつぽつと顔を出してくる。
なんだかこの顔がちょっと怖かった時もあったような気がする。
昔は付属のソースに、からくなるから子どもには8分目がおすすめ的なことが書いてあったような気がする。(いつの間にか書いていない)

バブルもはじけるころ、まだ10代だった父と離婚して、乳飲み子の私を女手一つで育て始めた20代初めの母。中卒だ。夜の仕事を掛け持ちして貧乏だった。
そんな母との昼ごはんを私は楽しみにしていたんだと思う。
田舎のアパートで世界規模の愛に生きる母の話は、また別の機会に。


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