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ミルクティとダイアモンド

缶のミルクティを飲むと、地元の駅前にあったパチンコ屋ダイアモンドのじゃんじゃん流れる大音量の軍艦マーチとじゃらじゃら機械に吸い込まれていくパチンコ玉の音に包まれた、やさしいおじちゃんやおばちゃんたちのたばこのにおいを思い出す。

ひとしきり打ち終えるまでの数時間、隣の台の席に座って手のひらにおさまるミニゲームでテトリスをやったり、本を読んだり、寝落ちしたり。台に滑り込むように消えていく夏目漱石をみるのも飽きると、店内をさんぽしながら、ときどき落ちている玉を拾い集める。1990年代。子どもが足元の玉を一つ二つ拾っていくのを、たしなめる大人もいなかった。母の手元に残る出玉とあわせて30玉ほどになったら、カウンターに行き、飲み物と交換してもらう。きまって、午後の紅茶のあったかいミルクティ。甘さも温かさもちょうどよかった。
ミルクティを飲みながら、外の明るいところで缶のタブとか、BB弾の玉とか、少し見つけるとラッキーな気持ちになるものを拾って遊んで、また店の中にもどる。1000円分だけ、と、平台で打つこともある。

小学生になるかならないかの子どもがパチンコを打っている様はなかなかシュールだったろうな。今の時代では考えられない光景。ともすれば虐待と思われるような状況ではあるけど、あの頃の自分は、親と親の知り合いの大人たちの目の届くところで遊ばせてもらっていて、同級生とはちょっと違う大人のような経験もしていて、そんなちょっとした特別感もあって楽しいくらいだった。こうして、小学校低学年でパチンコは卒業した。よくまともな大人になったもんだ。

ミルクティの細長い缶がなつかしい。

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