くも膜下出血から社会復帰に至るまでの困難な日々①

こんにちは。
ワイマニです。

私の人生は、くも膜下出血という病気によって一変しました。
2ヶ月半にわたる長い意識不明の状態から目を覚まし、そこから約1年かけて社会復帰するまでの出来事をブログで紹介させて下さい。

数回に分けてご紹介しようと思いますが、今回は1回目のお話しです。
何回目になるかは分かりませんが、筋トレの話もするつもりでいます。

まず、目が覚めた瞬間は、自分の現状を把握することができませんでした。
長い眠りから覚めたばかりで、周囲の状況を理解するのに時間がかかりました。
周りを見渡すと、自分が病院のベッドの上に横たわっており、身体中に管が通され、手足が縛られて拘束されていました。
何故自分が病院にいるのか、自分の状況に戸惑いながらも、自分に何かあって病院で治療を受けているんだろうな。
くらいは、ボンヤリと把握できました。

2.5ヶ月間意識不明の寝たきりでしたけら、体力の低下が著しく、とにかく日常の基本的な動作をすることにも苦労しました。
立って歩くこともできず、幼児が使うような歩行器を使って歩く練習から始めました。
嚥下能力も低下していたため、食べ物はもちろん、水さえも飲むことができませんでした。
当初は看護師の支援なしでは、生活することさえできませんでした。

自分で排尿することもできず、1日3回ほど看護師によって尿道に管を通され、膀胱を押されて排泄を行うという屈辱的な記憶が残っています。
私は自分の身体を自分でコントロールできないという絶望感に苦しみました。

それと今思い出しても一番辛かったことは、意識不明の2ヶ月半の間、私は同じ夢を繰り返し見続けており、その夢の内容がとんでもなく辛かったことです。
同じ夢を1000回以上は見ていたと思います。

夢の内容は、一人で船の上に立ち、日本刀を手に自害しようとするものの、死ぬことができないという苦悩を繰り返す夢です。
自害をしようと、日本刀を自分の体に突き刺すのですが、結局は死ぬことができないで苦しむんですが、そのシーンまで来ると、また最初の自害を覚悟するシーンから始まります。
私自身はこれが夢という認識はないので、同じシーンを繰り返している自覚はありません。
だから、死なないといけない気持ちと絶望感が入り混じった状態から、毎回自害を決意して実行するの繰り返しで、精神的にとてつもなく苦しい時間を過ごしました。

今考えると、あの夢の中で死んでいたら、現実世界でも、きっと助からなかったんじゃ無いのかなと思っています。

そして夢から目が覚めた現実世界でも、悲惨な状態が待っていました。
とにかく一日中咳が絶えず、5分とも睡眠がとれない日々が1週間ほど続きました。
寝るというよりは、咳が原因で睡眠が取れず、強制的に気絶してしまう状態でした。
しかし気絶をしても、結局は酷い咳によって目が覚めるの繰り返しでした。
ICUの中を見渡しても、咳で苦しんでいるのは私だけでしたので、本当に辛かったです。

『咳が止まる為なら何でもしますから助けてください。薬でも何でも飲みます。とにかく10分でも良いので寝たいんです。眠れないのならもう殺して下さい。』と半ば自暴自棄になって看護師に言ってしまうほど、咳の辛さに追い込まれ、とても苦しみながらの日々でした。

以下に続く

くも膜下出血から社会復帰に至るまでの困難な日々②

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