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マミぞーのドロ沼から這い上がった若葉ってる受験体験記

4月
高校三年になった春、同じ画塾に通っている好きな人が元カノと復縁したということを聞いてショックで塞ぎ込んでいた。もう画塾にも行きたくない、行ったらあいつがいる。そんな気持ちをずっと抱え込んでいて絵もまともに描けなかったし、勉強もしていたけれど集中できなかった。
4月はずっとそんな感じだった。

5月
5月に入ってもまだ塞ぎ込んでいた。なんであの男と〇〇したんやろ、、、後悔の気持ちで胸がいっぱいだった。

親に画塾を変えたいって言っても「なんで?」と理由を聞かれるだろうから、言えないし、画塾に行ったらあいつがいるし、八方塞がりだった。


6月
6月に入ると模試の結果が大量に返ってきた。京芸はD判定だった。

画塾の先生から見せろと言われていたので見せた。何十分も小言を言われて最後には「こんな成績なのにまだ京芸目指すの?」と言われた。模試を見せるたびに毎回のように言われた。そのせいでそのことしか考えられなくなり模試も集中できなくなり、それで成績は上がらないで負のスパイラルだった。

(私は画塾の先生にめちゃめちゃ嫌われてた)

6月中はずっとD判定だった。そんな成績を見た私の母が京都アートスクールに行くよう勧めてきた。私はそこに行ったら今の状況を変えられる気がしたので、夏の間だけ行くことにした。

地元の画塾の模試で7位だったやつ
模試の前のやつ



7月
私は京都アートスクールに来た。来た当初はまだ恋愛のことを考えていて「なんか、いい出会いないかなー」なんて考えていた。1日目は立体だった。私にとって初めての立体構成だった。初めてだから評価も下の方だろうと思っていたら、案の定下の方だった。別に悔しくなかった。次の日はデッサンだった。地元の画塾のデッサンコンクールで上位層にいた私は「デッサンの評価は上の方だろう」と思っていたが評価は下の方だった。あんなに自身のあったデッサンの評価が下だという事実に私は泣いた。その後デッサン、色彩、立体とやったが、全部評価が下の方だった。ずっと絵の評価が上の方だったやつにとってはショックだった。もう京芸は諦めるべきなのかと思ったが、そんな時U先生が「マミぞーさんはアグレッシブさがあるからこの調子で頑張っていこう」その言葉に私はびっくりした。私にもいいところあるんやって思えて嬉しかった。

がさがさなやつ
おかしいって言われたやつ
中の下
あともうちょっとで上だったやつ
夏色彩中の下



8月
8月の初め京芸模試があった。私もそれに参加した。結果はデッサン142点色彩116点立体64点だった。悔しかった、どれか一個くらい200点台を叩き出したかった。上位の人たちの作品を見ると私とは比べ物にならないくらいうまかった。


模試が終わってまたいつも通り制作する日々が始まった。でも7月の時とは制作に向かう姿勢が違った。7月の時は講評が終わったらすぐ帰っていたのに、何故か塾に残れるギリギリまで残って作品を手直ししてた。

そこにしんどいとかそういう思いはなかった。ただ上達したいその一心で作品と向き合った。相変わらず評価は下の方だったが這いあがろうと思えた。この時にはもう恋愛したいなんて気持ちは微塵もなかった。恋愛している時より充実してて楽しかった。そんな日々を過ごしていていよいよ夏期講習最終日になった。最後の課題は色彩でテーマが「空」だった。前日に夜空の描き方をYouTubeで見ていた私にとってラッキー課題だった。私は前日の記憶を頼りに夜空を描いた。最後くらい評価が上になりたいという一心で描いた。結果は中だった。上ではなかったけど嬉しかった。

初めて下以外がとれたのだ。その日もいつものように残って手直しして帰った。

夏期講習が終わった次の日、京芸の入試説明会があった。そこには沢山の合格再現作品が飾ってあった。満点の作品を見ると言葉にはできない凄さがあった。私もとれたらいいななんて思ってた。そんなことを考えているとU先生が私のところにやってきて「マミぞーさんは部分的で雑なところがあるけどガッツはあるから!」と言ってくれて、地元でも京都アートスクールで学んだことを生かして頑張ろうと思えた。

努力が報われた色彩構成



9月
9月に入ると学校行事が沢山あった。美術部の部長で文化祭の出し物の準備や有志発表、パンフレット作りやクラスの出し物の準備やらなんやらで忙しかった。勉強は怠らなかったが努力も虚しくずっとD判定だった。この時はデザイン科を志望していたので数学も受けなくてはならなくて数学大嫌いな私にとってそれは乗り越えるには大きすぎる壁だった。模試を受けていくうちに数学を捨てようと思い、9月下旬デザイン科から美術科に変えた。

10月
美術科に変えて初めての模試があった。結果はD判定だった。でも、C判定に近いD判定だった。2回目の模試はC判定だった。ちょっと光が見えた気がしてすごく嬉しかった。

地元の画塾でも、高校3年生組は志望校の対策が始まった、、、

「なんで4月からやらなかったんだよ」っていうのが本音だが過去のことについて愚痴愚痴言ってもどうにもならないので今に集中することにした。

だが、私に与えられた課題は想像とは違った。

他の子は第一志望校に向けた課題を出されてるのに、何故か私だけ、第二志望の受けもしない科目の対策をさせられた。

「はっ?」って気持ちが大きかったが、先生に抗議しても聞き入れてもらえないと思ったのでその課題をやることにした、、、

心の中で丑の刻じゃないけど丑の刻参りをした。

11月

11月になっても対策はさせてくれないし、、模試のことでも愚痴愚痴言ってくる、、、

この人まさか、、受からせない気なのかな、、、とちょっと思ってしまった。

そんな先生が鬱陶しくなってスクールカウンセラーに通ったり先生に対して嫌い嫌いアピールをした。



12月
共通テストプレがあった。その時は緊張もなくすらすらととけた、その結果B判定をとることができて嬉しかった。この調子で頑張るぞーΣ੧(❛□❛✿)

12月でその画塾の先生との関わりも終わった。

1月
共通テストがあった。プレでいい成績を叩き出したためあまり緊張はしてなかったと思う。だが、英語のリーディングでこけてしまった。私は泣いた。

本当に悔しかった、受けた教科の中で一番頑張ったのにできなかった。泣いてる私を見て友達が慰めてくれた。

そのおかげもあってか次のリスニングでは、8割を叩き出せた。共通テストでは4教科合計6割5分だった。7割欲しかったが目標点には達したのでホッとした。共通テストが終わってから画塾で実技対策が始まった。

私は週一しか塾に通えて無く対策も夏期講習の時しかやってなかったから、今からやってライバルに追いつけるのか不安でしかなかった。でもやるしかなかった。「1日1日を大切にしよう。どんなに疲れていてもやろう。」その気持ちを大切にして頑張った。そうこうしてるうちに京都芸術大学の入試日がやってきた。初入試だった。滑り止めだったが、精一杯描いた。結果は合格だった。抑えができて安心した。

よしとも悪いとも言えない
サザエ細密
モチーフ多すぎんねん…
直前初デッサン
ピーマン🫑
影が…



2月
2月の初め東京造形大学の試験があった。東京造形大学は私立5美大に入る名門校なので、私は緊張した面持ちで試験を受けた。京都芸術大学の入試と比べてモチーフの数が多い割に試験時間が短い。とにかく描ききることだけ考えることにした。周りの人も描くスピードが速い。私が形どりをしている間にもう明暗づけに入ってる。不安に押しつぶされそうな中、「焦るな焦るな」と自分に言い聞かせながら終了時間まで描いた。終了のチャイムが鳴ると同時に周囲の鉛筆の音がぴたりと止んだ。

私も鉛筆を置いた。なんとか描ききれた、結構いい出来に仕上がったのではないかと思う。

私はこの調子で本命も頑張るぞという気持ちを忘れずに、次の日も受験対策に勤しんだ。東京造形大学で受ける滑り止めは最後だったのでそこからは京芸対策に集中した。だが東京造形大学の入試が終わってから何故だろう、力が入らない。デッサンも色彩構成も立体構成もイマイチな出来だ。

疲労が溜まっているのだろうか?だが1日も無駄にしたくなかったので休んだりはしなかった。

「京都アートスクールで上位にいた人たちはあの時よりももっと上手くなっている。ただでさえ遅れてるのに休んだらもっと差をつけられる」

そう自分に言い聞かせて疲れていても描き続けた。だが体は回復しなかった。そんな様子を見て先生が「1日くらい休みなさい」と言ってきた。このまま描き続けても何も進歩しない気がしたので、1日休むことにした。休んでからは絵が良くなった気がした。


そんなこんなで試験前最後の対策になった。最後に先生からこんなアドバイスを頂いた。

「マミぞーさんの色彩構成と立体構成は必要なところが60%無駄なところが40%だから、やりすぎたら作品の趣旨が伝わりにくくなる。じゃけえ、ある程度したらストップしんさい。」


私はその言葉を胸に京都へ向かった。京都に着くとあの夏を思い出す。だが思い出に浸っている時間はないのですぐにホテルにチェックインして、大学の下見に行った。「明日ここで試験を受けるんだ、、、」私は試験がうまくいくように大学前で手を合わせた。

試験日当日、私はバスに揺られながら試験会場に向かった。試験会場に着くとU先生が生徒にお菓子を配ってた。私も受験のアドバイスとお菓子をもらって試験会場に入った。試験会場に入ると机の上に米袋と洗濯バサミが置いてあった。嫌いなモチーフしかなくて「あ、落ちた」って思った自分がいた。

今日の今日まで頑張ってきたのにここで諦める訳にはいかなかったのでとりあえず描き切ることに集中しようと思った。試験が始まった、まず形どりから入るが洗濯バサミの形どりがなかなかうまくいかないし、米袋が大きすぎてなかなか画面に収まらない。結局形どりに1時間以上かけてしまった。その後影つけて、レタリングして、と順序通りにやっていった。試験終了のチャイムがなった。いい出来とは言えなかったが、なんとか描き切った。

昼休みを挟んで色彩構成の試験が始まった。お題は「ハケの特性を生かした色彩構成」とのことだった。ハケが袋ごと配布されて、その袋を見てみると「この刷毛は下地塗りに適しています」と描いてあったので下地塗りを描くことにした。夏期講習の時に描いた夜空の色合いがすごく綺麗にできたのでそれをイメージして描くことにした。画面が小さかったため試験開始1時間で終わった。2時間余ったので、もっと何かやろうかなと思ったが、そんな時、先生の言葉が頭をよぎった。


「マミぞーさんの色彩構成と立体構成は必要なところが60%無駄なところが40%」

私は加筆するのをやめた。もういっそのことだから寝ようと思ったけど、それは落ちた時に後悔するからやめておいた。ジッとしてるのは苦手なので、結局2時間、渡された構想紙とハケで遊んでた。

そんなこんなで1日目が終了した。

二日目がやってきた。昨日と同じようにバスに乗った。隣に京都アートスクールで上位層にいた人が座ってた。それを見て私は「あ、京都アートスクールで上位層にいたあの人だ、、、」

あのとき、上位にいた人と今同じ土俵で戦っている、、。

夏期模試のことが蘇る、、。ちょっと凹んじゃった、、。

そんなこんなで試験会場に到着した。試験会場内に入ると机の上にケント紙、、、、、ではなくコンバイン袋と針金と竹籤が置いてあった。私は悟った、「あ、、今までの努力は無駄だったんだ、、、、」いつもの立体構成の対策ではケント紙を使っていたから、その経験を活かせないと思った。そんなことお思いながら試験に臨んだ。お題は収穫だった。もう何を作ればいいのかわからなかったのでそれっぽいものを作ることにした。なんとか試験終了までに作り終えた。周りを見るとどれも素敵な作品ばっかり、、、私の心はボロボロだった、、

「あ、、落ちた、、、」

そう思いながら試験会場を後にした。

本番色彩218点
本番描写56点
本番立体106点



3月
試験が終わり、卒業式がやってきた。合格発表は卒業式後だったので、落ち着いた気持ちで卒業式は迎えられなかった。卒業式が終わって数日後、、とうとう合格発表の日が来た。正直言ってもう見たくなかった。だけど現実から逃げる訳にはいかなかったので渋々パソコンを開いた。

「浪人生ってどんな生活なんやろ」なんて思いながら受験番号を探した。

「、、、あ、、あった、、、」

信じられなくて5回くらい確認した。私は嬉しさのあまり3時間くらいその喜びを反芻してた。

これにてマミぞーの受験エピソード終了、、、と思いきやまだこの話には続きがあった。

合格してから私は燃え尽き症候群になってしまった。直前期は京芸に受かりたいという目標があったから充実していたけど、目標を達成してしまったためかハングリーさを感じるようになっていった。次第に京芸を入学辞退しようかとも思い始めた。そんな時京都アートスクールで祝賀会の知らせが来た。母に薦められていくことにした。そこには、夏期講習の時に見たことがある人もいた。みんなが友達と楽しそうに話している中、私は一人でドリンク片手に座っていた。そんな私を見てU先生が私に話しかけて現役生達のグループに入れてくれた。そこで色々な子と話していくうちに京芸に行きたいという気持ちが蘇ってきた。本当に京都アートスクールには助けてもらってばかりだなと思った。U先生には感謝しても感謝しきれない。

以上が私の受験エピソードです。

マミぞー

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