計測されれば改善される(見えない世界とのつながりかた)

松井です。

計測されれば、改善されます。

故に、改善したいのなら計測して認識したほうが有用である場合が多い。けれども・・・

「本当に大切な部分は、計測できない(目に見えない)」

どんな姿勢で向き合っているか?
どういう動機で、事をおこなったか?
どれだけ手と間と関心をそこにかけたか?

これらの内的な動きは、計測では捉えられません。

なぜなら、計測できるのは「目に見える物」だから。

売上は測定できるが、お客さまの気持ちは測定できない。

感情は測定できるが、感情が発生するコンテクストは計測できない。

本質は見えないコンテクストにある。

だから計測できる(目に見える現象)からそれを推察するしかない。

土の中は見えないが、そこに生えている植物やその種類、虫がいるかどうか、匂いはどんな匂いかなどで土の中を推察することはできる。

硬い土にしか生えない子、土に栄養をもたらす子(豆科)、土にないミネラルを作って還元する子。

そんな子(植物)たちが育つのには、見えない環境が存在してる。

基本的には土に必要な物と、その土が適している物が自然発生するから。

今日は見えない世界にアクセスする現実的な方法についてお話します。


【形になって目に見える物は過去】

私たちに認識できるものは「ほぼ全て過去であり結果」でしかない。

言葉も形だから過去であり結果。

思考も形だから過去であり結果。

本当に「今」に集中している時には、今すらないz

見えるものは過去、見えないものが今と未来。

過去から、今と未来を推察することができる。

今、目に見える物(過去の集合体)が、過去の答えなんだよ(つまり結果ね)

その答えにどう応じるかで人生は修正される。

だからこそ、未来を変えるには、過去を否定して認めて学んで引き受けるしかない。

過去を肯定してたら同じ応じかたをすることになるからね。

って話は大幅にそれていますが、

【スピードメータやガソリンメーターのない車】

要するに計測しないとその「目に見えるもの」が認識できないからいろいろつらい。

例えば、スピードメータがなく、ガソリンメーターもなくて、今何キロで走っているか分からない、ガソリンの残量も分からないとなると不安ですよね。

例えば、Googleマップやカーナビで現在地をしっかりと確認しながら走れたら安心ですよね。

それと同じく、計測すれば見えるから安心する。

見えないと、不安になるし、方向性がズレていく。

もちろん、形無き物に委ねられる勇気と胆力があるのなら、全てを無視して神に委ねるのもよいだろう。

しかし、委ねているつもりで単に都合の悪いものから逃げたり、臭いものに蓋をしているだけだと、裏を切ることになってしまうので、問題がどんどん大きくなる。

基本的に不安という物は、曖昧だとどんどん大きくなるからね。

だからしっかりと数値化できる物は、数値化して把握した方が良い。

「もっとお金が欲しい」

ではなく、

「〇〇のために〇〇万円がいついつまでに欲しい」

としないとどう動くかが決まらないでしょう。

決まらなければ、何も動かないわけで、そうすると周囲の流れにただ流されて生きることのなる。

曖昧にしていると不安になるのは、それを知ってるから。

自分で選んでない人生をヒトは求めてないからね。

自立性、自分で決めている感覚ってヒトの尊厳ですので、それを蔑ろにすると怒りや憎しみ、復讐心が起こるのよ。

自分に対しても尊厳を無視した対応をしてると、自分自身に腹が立つの。

故に自分を攻撃する。

衝動的な自死であったり、ゆっくりと進む自死を選ぶ。

心は死んでいるからね。

だから現実を心に合わせようとする。

また話は逸れちゃったけどね。

【大切なのは計測する事】

例えばお金を大事にしてるなら自分のお金の入と出を明確にする。

そうやって関心を持つことが愛なんだ。

マザーテレサって人が、愛の反対は無関心だと言ってましたね。

そうそうやって計測したり、記録したり、どうするのが一番かな?って関心を持って考えることが愛なんだ。

子育ても一緒、子供がどう育つのかは最終分からない。

でも、それについて自分なりにベストを尽くすことが大切なんだ。

私は、やらなかったけど。本当に後悔しているからあなたにはお勧めしたい。

最終何もしないという道を選んだとしても、そこについて関心を持ってああでもない、こうでもないと考えるのが愛。

ちなみに心配して、悩むのは全く愛ではないw

子供のために子供のことを、上手く行こうが行くまいが信頼して、その上で関心もって考えるのが愛。

そういう関心があれば自然と記録は取りたくなる。

どういう動きになったか気になるからね。

子供はもちろん計測しずらいだろうけど。

売上、収入、支出、経費、資産の増減。

そういう物って比較的に簡単に計測できるじゃん?

子育てなら子供に使った経費や時間。

子供の日々の笑顔の数とか、なんとなく体調が良い日悪い日、献立とかも記録できる。

もちろん記録しないといけないわけじゃない。

「ちゃんと関心を持って、ちゃんと向き合うことが大事なだけ」

人は計測できないからね。

子育ての例えは逆に混乱を生んだかもしれないけど。

言いたいことは、、、

本質は見えない部分にある。
とはいえそれは見える部分から察する。

だから、しっかりと観察することが大切。

それを言いたいだけです。

そんじゃ!!また!!

松井万理

追伸:
4/22に私がお世話になっている田畑での体験会があってね。

そこでこの見えない世界を見える部分で推察する話を聞いた。

私が自然農の野良仕事に携わるようになったキッカケは「柏木大樹さんの農リトリート」です。

その発祥のきっかけが、この見えない世界に実際触れれる経験だったそうです。

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