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旅先で本屋に立ち寄る 〜 花蓮へ

ニューヨークで池波正太郎


 海外旅行や出張先で、すきま時間を見つけて本屋に行くことがある。子供が小さかった頃は、絵本や珍しい文房具を見つけるのが楽しみで、お土産に買うこともあった。

 ニューヨークのブレンターノという書店は老舗で、結構有名だ。先日見た映画「チャリング・クロス街18番地」で、ニューヨークに住む主人公の脚本家が、もう一人の主人公でロンドンの古書店主に宛てた手紙で、「(本を探して)ブレンターノにも行ったのよ」という短いセリフの音読が、1秒くらい字幕に出ていた。

 由緒正しさを静かに主張しているその店は、蔵書も豊富だった。しかし私が買ったのは、池波正太郎の文庫本「剣客けんかく商売」第3巻と4巻。日本から持参した分を読み終えてしまい、先が気になってしょうがなかった。"Printed in Japan"とシールを貼った新潮文庫は、定価の倍くらいした。帰国してから買えば良いのに? 私と同じような「事情」を抱えた人がいるのかも知れない。

 マレーシアのマラッカに滞在していた時、ホテルの近くの書店に3回足を運んだ。興味を持った大判の写真集は大変高価で、透明ビニールで包んである。中身が見えないので躊躇ためらっていた。翌日(2回目)も同じ書棚に行くと、親切な店員が包装を解いてくれた。雲行きが急速変化し、3回目の「訪問」で、その分厚ぶあつくて重い本を買った。"Malacca"というその本は、美しい写真と、読み応えのある解説で、歴史と民俗を紹介している。今でも時々ページをめくる。

花蓮の思い出

 本で読んだり、映画で見た場所を後日実際に訪問するのは、楽しい。「ロケ地ツアー」も人気の旅行スタイルだが、その逆、現地訪問が先に来ることもある。

 数年前に、台湾東海岸の街花蓮かれんを訪れた。高い山と海に挟まれた小さな街だ。夕食まで時間があったが、雨模様なので本屋に行った。結構大きい。ほとんど中国語の本なので、平置きの人気書を眺めていると、店員が近付いてきて、「これ一番売れてます」と1冊手にとって薦める。タイトルは漢字なので読める。「複眼人ふくがんじん」と題する小説だ。

 これが、呉明益ごみんえい(1971~)という作家との出会いだった。

 帰国してから探したが、日本語訳が出ていないので、しばらく待った。先に出たのは「歩道橋の魔術師」(2015年白水社)、次が「自転車泥棒」(2018年文藝春秋社)で、それぞれ、(特に日本人には)面白かった。台湾で一番最初に出たのは「複眼人」(台湾では2011年)だったが、日本では2021年(Kadokawa)まで待たされた。

 私は「眠りの航路」(2021年白水社)も読んだが、「複眼人」に一番惹かれた。作者が「日本語版の読者へ」という小文で書いている;

”2006年ごろ、太平洋にゆっくりと漂流する巨大なゴミの渦が現れ、科学者にも解決の手立てがないという英文記事をネットで目にした。時には野外で、時には小さな町で、時には海辺で、なぜか自分が一度も目にしたことのない、人類に捨てられた物が太平洋に集まりゴミの島となっている情景が、それ以来というもの頭から離れなくなった。そのうち想像する少年が島に現れ、私は彼にアトレと名付けた。しばらくしてから、彼が太平洋の人知れぬ島で生まれたということにした。
 そしてある日、私は少年が生まれた島にワヨワヨと名付け、こうして物語は始まった。”

出典:「複眼人」呉明益著・小栗山智訳、2011年Kadokawa)

 「ワヨワヨ島」は、台湾の「H県」にあるとされるが、これは花蓮かれん県のことである。台湾語の花蓮をローマ字表記すると"Hualian"となり、その頭文字Hを取ったのだ。小説を読むと、訪れたことのある人には、それが花蓮であることが容易に推察できる。

 「複眼人」は設定がファンタジーで、随所に先住民を含む台湾の民族的神話が散りばめられている。展開されるストーリーはディストピアと言うか環境文学的でもあり、いろいろな読み方ができて奥行きが深い。タイトルの「複眼人」が示唆するように、登場人物のさまざまな視点から描かれる、多元的でスケールの大きい小説だ。

 自殺寸前の大学教師の台湾人女性が主人公だが、阿美あみ族や布農ぶぬん族など、作中の重要人物として登場する台湾先住民が、重要な役割を果たしている。

 作者の頭を離れなかった「太平洋のゴミの渦」は、「複眼人」を書く動機になった。私もnote投稿「旅するアヒルが出会ったのは?」に書いたように、特に東日本大震災以降、ずっと頭を離れなかった「北太平洋巨大ゴミベルト」のことだ。作者への親近感が強くなった。

 小説では、花蓮の町や海岸・港以外にも、台東や太魯閣たろこ国家公園と推察できる場所が登場して、思わず懐かしくなる。近年、大地震や洪水で大きな被害を受けた。住民の望み通りの復興ができたのか心配している。

 noteデビューとなった投稿「鉄道開業150周年に寄せて」で、花蓮駅・花蓮/台北間特急切符/駅弁の3枚の写真を載せた。パソコン操作ミスで、台湾一周旅行の写真フォルダーを全て削除してしまった。だから、「複眼人」とnoteで紹介した3枚の写真だけが、花蓮と台湾の思い出になっている。

(了)

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