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第二話 鉄道開業150周年に思うこと  ②

 世間が新型コロナと共生する方向に動き出したので、久しぶりに北海道を鉄道で旅してみようかと思い、時刻表を買ってきて、唖然とした。北海道の鉄道が、「ほとんど消えている」のだ。まあ、予想していたことだが、北海道路線図を改めて眺めて、ため息が出た。

(写真)上は1972年©︎Discover Japanキャンペーン用地図、下は2021年©︎J R北海道の営業地図(廃線した江差線の一部がいさりび鉄道として掲載されている。)

圧倒的に多かった北海道旅から、思い出深い幾つかの路線について触れたい。

【日高本線】 2015年1月の高波で、苫小牧と様似を結ぶ全長146.5キロの日高本線が寸断され、以降復旧することなく、2021年4月に鵡川から様似までの116キロが、廃線となってしまった。襟裳岬に向かって、太平洋の海岸沿いを走る線路からは、季節ごとに異なる風景が楽しめた。

 牧場で草を食べる馬、海岸を埋め尽くす昆布干し、霧や白波打ち付ける海岸を眺めることができる、風光明媚な路線で、札幌から日帰り圏ながら、北海道に来たという旅情をひしひしと感じたものだ。

(写真)日高本線途中の静内駅にて。
(写真)車窓に広がる、のどかな牧場風景 
(写真)夏、沿線の太平洋に面した浜辺一面に敷き詰められた、昆布干しの風景。
ー2010年8月いずれも筆者撮影 

 競馬で大いに儲かっている中央競馬会が、収益のほんの一部を寄付すれば、十分存続できるはずなのに、どうも国営賭博事業主は、サラブレッドにとっての桃源郷や馬を大切に育てる牧場主、さらに日高地方と言う有数の牧場地帯を擁する地域社会を守る気はないようだ。まあ、競走馬は、専用トラックで運ぶから、鉄道は要らないのかもしれない。

 【根室本線】 2016年8月台風10号による被害の影響で、東鹿越と新得の間が不通となっているが、同区間はそのまま廃線検討区間になってしまった。根室本線は、函館本線の滝川から北海道の東端、根室を結ぶ443.8キロの非電化の幹線。滝川発釧路行きの「日本で(現存する)一番長い区間(385キロ、8時間21分)を走る鈍行列車」=2427Dには、2回乗ったことがある。一度目(1973年)はお金がないので全線、二度目(2014年)は、鈍行乗り放題切符の都合で富良野まで。

(写真)滝川駅の富釧路行き鈍行列車の宣伝ポスター。何人が実際に釧路まで連続乗車したのだろう?
(写真)ホームに佇むキハ40系ディーゼル列車。 ー いずれも2011年7月筆者撮影

 ちなみに、もっと「長い区間を走る鈍行列車」と言うことでは、学生の頃、山陰本線の浜田発京都行きと函館本線・根室本線経由の小樽発釧路行きに乗ったことがある。共に「寝台車=贅沢」だったが、ため息が出るほど長かった。長さだけでは、九州行き急行、『高千穂』と『桜島』では、24時間以上座ることを強いられたが、若かったのと、急行だったので、まだ耐えられた。鈍行だと、駅で45分停車なんて列車もあったと思う。

 【函館本線】 今日現在、まだ全線走っている。しかし、長万部から小樽間(140.2キロ)の廃線が、今年8月に決まった。北海道ではよく乗った。わざわざ乗りに行ったC62の重連が引く急行ニセコが懐かしい。朝のNHKテレビドラマにも沿線駅が登場した。古くは塩谷(映画版、テレビは旭川手前の神居古潭かむいこたん駅のようだ)=「旅路」(1967年、日色ともゑ、最高視聴率歴代1位の56.9%、白黒放送)、最近では余市=「マッサン」(2014年、シャーロット・ケイト・フォックス)は毎朝見た。北海道と鉄道というと、どうしても高倉健を入れないわけにはいかないが、止まらなくなりそうなので今回はやめておく。

 1970年代は、道南にもまだまだ線路がたくさん走っており、青函連絡船を降りた函館駅で、先ずは「北海道時刻表」を買うのが楽しみだった。因みに、道中森駅では、名物のいかめし弁当を買った。

(写真)©︎交通新聞社からまだ販売中(昔200円、今550円)
写真は、函館本線森駅の©︎「森のいかめし」。北海道赴任中、わざわざ阿部商店まで買いに行ったこともある(最初に買った時100円、次が500円、今780円。今やヨドバシカメラでも通販している)

 また、廃線決定となった函館本線には、道南部だけでも江差線(五稜郭・木古内間が道南いさりび鉄道として第三セクターに)、松前線、岩内線、胆振線などがあるが、このうち、倶知安から、室蘭本線・伊達紋別へ抜ける胆振線(1986年11月廃線)には何度か乗った。道中、羊蹄山や裾野に広がる広大なジャガイモ畑の風景を楽しめた。沿線には有珠山や昭和新山の最寄り駅があり、北湯沢温泉に泊まったこともある。

(写真)倶知安駅で発車を待つ各駅停車のディーゼルカー。
(写真)林間の峠道を登る。
(写真)車窓には羊蹄山と裾野に広がるジャガイモ畑。 後年、ニセコで降りて千歳から輪行した自転車で裾野を一周したこともある。― 2014年11月筆者撮影

【宗谷本線】 気になっている。J R北海道は、「単独では維持できない」といっているようだが、これが廃線になると、稚内方面に汽車で行けなくなる。曲がりなりにも、「本線」を名乗っているが、運行本数は数えるばかり。なぜか駅の立ち食いそば(座る席もあるようだ)が「うまい」と時々テレビに登場するが、鉄道あっての立ち食いそばだ。この路線は、天北線がすでに廃線となってしまったが、札幌から道北に行く貧乏旅では、夜行急行の『宗谷』と『天北』で行き帰りの列車を選べた時代もあった。

 【釧網線と羽幌】 釧網線は、今も頑張っている!道東に行く時は、よく乗った。好きな路線ベスト3に入る。何といっても景色が良い。本数が少なく網走と釧路の乗り継ぎが悪いので、乗る時は、途中の川湯温泉という風情ある駅で降りて、温泉に泊まった。硫黄山と弟子屈(てしかが)の大鵬相撲記念館は、時間潰しも兼ねて何度も訪れた。昼間知床斜里で乗ると、病院に通うお年寄りがよく乗ってきた。斜里町か清水町にある大きな病院の行き帰りだろう。家と家が離れている地方では、列車内が社交場になったようで、何か楽しそうにしていた。羽幌線は、私が乗りたい路線のベスト10に名を連ねていたが、ついにその機会がなく、廃線になってしまった。

(写真)釧網線はこんなところを走る。
(写真)川湯温泉駅へのアプローチ。風情のある駅だった。

【石北本線】 旭川から、途中白滝(しらたき)、丸瀬布(まるせっぷ)、遠軽(えんがる)、留辺蘂(るべしべ)、北見、美幌、女満別(めまんべつ)など「難読駅」を経て網走に向かう路線。沿線には、建設に100人以上の死を出し、慰霊碑が建てられ、「心霊スポット」にもなった常紋トンネル(常紋峠)があり、建設に駆り出された網走刑務所の囚人200人以上の死者を出し「囚人道路」の別名もある国道(石北トンネル=北見峠)が走る。エゾシカが多く生息し、結構頻繁に接触・衝突事故を起こすので、車内放送でその案内があり、列車はゆっくり進む。途中の下白滝したしらたき駅(現在信号場)は、利用者が北見方面の学校に通う高校生一人だけで、朝晩1本ずつ(晩は3本だったかもしれない)普通列車が停車していたという番組を見たことがある。高校生が卒業してから程なく駅の営業は停止となったが、何か、鉄道の心意気を感じる。収穫期には北見から玉ねぎを運ぶ専用列車も走る。

 列車本数も一桁になり、廃線の危機がひしひしと押し寄せているようだが、道東へ向かう幹線として、おいそれと廃線してもらっては困る。

(写真)早朝の札幌駅。ホームに各方面行き特急列車が入線してくる。釧路行「おおぞら」。
(写真)まだ暗い朝6時56分発の網走行「オホーツク」 ― 2010年12月、筆者撮影
(写真)函館で、乗り換え時間を利用して。歴史的建造物を訪問。
(写真)朝早くから開いている市場で海鮮丼を楽しめた。― 2010年12月、筆者撮影
(写真)夜、札幌に帰ってくると立ち寄った老舗Jazz喫茶(夜はバー)ー 店主に許可を得て筆者撮影

 枝線の廃線が進み、札幌・旭川・帯広・函館・苫小牧などの都市を結ぶ幹線以外の目的地に、鉄道で行くのができなくなってしまった。鉄道網がズタズタ、もうほとんど消えかけている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・番外編に続く




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