タコ部屋の所長

学生時代、自分の生活費と学費を稼ぐため、タコ部屋みたいな所に住み込んで働いていた。早朝に仕事し、学校に行って、また戻って仕事して寝るだけの毎日を送っていた。

所長は、送り込まれてくる人間を自分では選べないので、送り込まれて来た人間の面接替わりに、三時間ぶっ続けで説教を食らわすのが習わしだった。今思うと、あの高齢で三時間ぶっ続けで説教できた所長のスタミナに恐れ入る。

私が入所してすぐ後に来た人間が、同じく三時間の説教を食らって、翌朝には、「僕にはここは務まりません、ごめんなさい」の書き置きを残していなくなっていた。それだけ激しい説教を毎回食らわせていた。

私は、そこで暮せないと大学に通えなくなるので、必死に食らいついていった。

自分がそこに落ち着くことに決まると、電話は引けないので、公衆電話から、高校の同窓会の幹事に電話した。引っ越ししたため、新しい住所の連絡をしたのであった。

幹事は、「大学行ってるの? 受かった所あったんだ」と失礼極まりないことを言った。「◯大行かないの?」我が家は浪人できないのです。しかし、説明するのもバカらしく感じて、適当に話を終わらせて電話を切った。

高三の同級生で、県内にいた子には、実家に「同窓会をしたいので、娘さんの連絡先を教えてください」と電話がかかってきたそうだ。彼女のお母さんが、「娘に連絡させるので、あなたの電話番号を教えてください」と言うと、「じゃ、いいです」と電話を切ったそうだった。幹事を任せる相手を間違えたんじゃないかと思っても仕方ない。

ところで、私にも私実家にも同窓会の連絡はなかったようだ。

後々から思うに、私が新住所と電話番号(タコ部屋の)を教えたから、実家には連絡がなかったのではないだろうか。そして、タコ部屋に連絡して、電話を取ったのが、運悪く所長だったのかもしれない。所長は見ず知らずの人にも平気で説教できる人だったので、説教を食らわせ、私に替わらず知らせず、一方的に電話を切ったのではないだろうか。

あのジジイならやりかねない。

そして、タコ部屋に私を送り込んだのが毒母であった。まあ、タコ部屋に入らなければ、学費も生活費も稼げなかったのであったから、正解ではあったのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?