野田ブス子

母親から「ブス子」と呼ばれて育った、壮絶な人生を送っている壮絶なブスです。

野田ブス子

母親から「ブス子」と呼ばれて育った、壮絶な人生を送っている壮絶なブスです。

最近の記事

タコ部屋での学生生活

毎朝3時から仕事。 作業して、朝食を作って、事務所を掃除する。 毎朝毎夕、1升5合の米を消費する。朝ご飯はそれに味噌汁とおかずが一品だけ。ごはんのおかわりは自由と言っても、おかずが少なすぎて文句を言われる。味噌汁とおかずに使える食材は指定されるので、勝手に作る訳にもいかない。私に文句を言われてもどうしようもないが、上の人に文句は言えないので、私が愚痴のゴミ箱役をやっていた。 他の学生労働者が朝食を終えてから自分が朝食を食べ、洗ってある食器(学生は自分が食べた食器は自分で

    • 昼間の夜逃げ

      母の2回目の離婚に関する計画などについて。  母の再婚相手もクセが強い相手だったので、離婚話をすると家を追い出され、路頭に迷うのではないか、と母は危惧した。 だから母は、離婚話をする前にアパートを借りておいて、再婚相手が仕事に行っている間に引越して、それから離婚しようと考えた。 頭の悪い母は、当時の家のすぐ近くでアパートを探していた。円満離婚では決してないのに、なぜそんな近場に引越そうとしたのか私は理解できなかった。 結局、私が「バッカじゃないの〜!」と言って、生活圏

      • 修羅場とは…

        多分ひと昔近く前の事。 仕事関係で知り合った一回り上の男性に、「男と女の修羅場以外の修羅場はたくさん経験したけど、男と女の修羅場だけは経験したことがない」と言ったら、「修羅場なんて男と女の以外にあるかよ」と言われたのであった。 すごい人生を歩んだ人だな、と思った。

        • 或る日常

          夫が珍しく風邪で寝込んでいる。 高熱を出して、コロナとインフルの抗原検査をして陰性だった。風邪薬を飲んで少しは和らいだが、また熱を出して抗原検査して陰性だった。検査代が嵩んだと嘆いていた。 夫はよくインフルエンザになる人だが、インフルなら薬を飲めば治る。今は特効薬がない状況だ。 夫は医療機関で給食を作っている。抗原検査は職場でできるが、風邪症状は専門外だ。明日は仕事を休んで内科に行くと言う。それは賛成だが、お勧めできる内科の心当たりが、私にも全く無いない。 最近は、私が

        タコ部屋での学生生活

          絶望の長いトンネルを抜けるとき

          人生のトンネルの真っ只中にいるときは誰しも、トンネルを抜けられる気がまったくしないのだろうと思う。自分もそうだったから。 現実のトンネルは、トンネルの終わりから明かりが見えて、「あそこが終わりだ」とわかる。 しかし、人生のトンネルは終わりが見えない。絶望が更なる絶望を呼ぶ。 今の自分が思うに、人生のトンネルは、どこまでがトンネルで、どこからが終わりなのかがはっきりしていないものなのかもしれないと思っている。  暗闇から、わからないくらいに、暗闇が徐々に徐々に明るくなっ

          絶望の長いトンネルを抜けるとき

          死ぬ勇気なんて持たない方がいい

          生きるのが辛いけど、死ぬ勇気が持てないという人は、世の中に多くいらっしゃると思います。 そして、死ぬ勇気が無いというのは正解だと、自分の経験から思います。 何故ならば、自殺というのは、失敗してしまうというリスクがとても高いのです。そして、失敗してしまうと、更なる精神的ダメージを負うのです。 自殺失敗してしまった人々は、世の中で非常にひっそりと暮らしているので、自分自身が自殺失敗してしまうまで、そういう人の存在に気付かないでほとんどの人は暮らしているのです。 だから、生き

          死ぬ勇気なんて持たない方がいい

          切手代より高かったであろう電話代

          学生時代に住み込みで働いていたタコ部屋の同僚達は、学校の入学金を借金として負わされた状態で働いていた。 中に一人だけ、そうでない人がいた。 借金を負ってないばかりでなく、大学の授業料まで親が払ってくれているのだと彼は言った。 そもそもこんなタコ部屋に来る必要のない人だったので、なぜここに来たのか訊くと、兄弟に引け目を感じているので、せめて親の仕送りが必要ない生活をしたかったのだと言っていた。 「それじゃなんで親御さんが授業料払ってるんですか?」と訊いたら、「親の所に授業

          切手代より高かったであろう電話代

          毒母に親孝行したかった過去

          母が毒親だと悟るずーっと以前、母には親孝行しなきゃと思っていた。 その時までは私は、母のことを愛していたのだろう。生存戦略として。親から虐待されている子供ほど、生存するために親を愛するのだそうだからだ。 母の誕生日には、プレゼントを贈ったり、夕食を奢ったりしていた。 高校生の時、少ないバイト代から、クリスマスプレゼントとしてウールの暖かそうなスカーフを贈ったことがあった。しかし、色柄が気に入らなかったようで、くさされたのだった。 社会人になって、一人暮らしになった私が

          毒母に親孝行したかった過去

          20年以上着ているTシャツ

          私には20年以上着ているTシャツが何枚もある。 貧乏なので、服が長持ちしてくれるとありがたい 。   また、昔の服は丈夫である。ユニクロのTシャツも、昔の厚手のものは、とても長持ちする。 最近はGUが、ユニクロより安い服を売っているが、丈夫さを考えると、ユニクロの方が長い目でお得である。 いつ頃からか、人から「おしゃれ」と言われるようになったが、私がおしゃれになったのではない。ユニクロがおしゃれになったのだ。

          20年以上着ているTシャツ

          とっくの昔に、生きる意味なんて考えないことにした

          生きる意味なんて、あってもなくても関係ない、現に生きているんだから。 生きる意味が見いだせなくて、どんなに死にたくなっても、死なない以上、生きて行くしかないのだ。 死のうと思って色々やっても、死ねないことは以外と多い。実は自殺失敗することの方が圧倒的に多いのだが、そういう人は世の中でひっそり暮らしているから、あまり存在が目立たないだけなのである。 生きる意味を見出すより、生きる意味を見いだせないときに、どうやって生き延びるのかが肝要なのである。 心を殺されるのが一番辛

          とっくの昔に、生きる意味なんて考えないことにした

          母子家庭密集地帯

          小学校二年生の時、図工の授業で、家族全員の似顔絵を描くという課題が出されたことがあった。 作品が全て教室に貼られたとき、クラスの三分の一が母子家庭であることがわかった。 4人家族が一番多く、少しだけ減って3人家族が次に多かった。3人家族は、母と2人兄弟という構成が圧倒的で、両親と一人っ子という組み合せはほとんどなかった。 2人家族は、私ともう一人の2家庭だけであった。もう一人は男子であったし、お互いいじめられっこ同士で反目しあっていたので、仲が悪かった。 数少ない仲良

          母子家庭密集地帯

          本当は専門学校に行きたかった話

          中学生の頃、将来何をやりたいか最初に考えた時、自分は手先を使うことが好きで、何か形になるものを作るのが好きだのだと思った。 家庭科では被服が好きで、スカートやパジャマを縫うのが楽しかったし、成績も良かった。当時、調理は被服に比べて成績は良くなかった。そして、床屋さんやパーマ屋さんで髪を切ってもらう度に、鏡に映るハサミさばきに見とれていた。だから、理容か美容、または、洋裁か和裁の学校に進めたらいいなとと思った。 しかし、そういう学校って、基本的に私立しかないのだな。この日本

          本当は専門学校に行きたかった話

          美女と野獣夫婦の馴れ初めから離婚まで

          タイトルは私の両親のことである。 出会った頃二人は、同じ雑居ビルの違う飲食店で働いていた。 母が重たいビール瓶のケースを一人で持ち上げて運んでいたのを見て、「力持ちだな〜」と父は 思ったそうだ。母は美人で痩せていたので、よほどインパクトがあったのだろう。 母からは父の第一印象を聞いたことがない。 そこからどうやって近づいたのかも聞いたことがないが、とにかく、父が母のアパートに転がり込んで同棲を開始したのだった。 母は中卒だったが、父は高卒だった。公立高校を卒業するに

          美女と野獣夫婦の馴れ初めから離婚まで

          ブスとしての英才教育(?)を受けた挙げ句

          母は、ブスが結婚するためには人一倍家事ができなくてはならないと考えていたようで、私は 小さい頃からスパルタ的に家事を仕込まれていた。 母の頃なら、器量が悪くても家事さえできれば縁談があったのかもしれない。しかし、私の適齢期にはそんなものはなかった。 自分の父親より年上の方々からはよく、「息子 の嫁にしたい」と言われたのであったが、当人世代からは鼻にも引っ掛けてもらえなかった。 独身のままアラフォーになった人は大抵、「あの時結婚しておけば良かった」と思う相手の一人や二人が

          ブスとしての英才教育(?)を受けた挙げ句

          顔に課金しない貧乏ブス

          「ブスは顔に課金しろ」とは心に刺さり易いキラー台詞。 しかしどブスな上にど貧乏なので課金する金がない。あったとしても、自分自身に課金するなんてお金がもったいないなさすぎる。 そもそも、見た目に執着しない。 ハナから自分はブスだと思って生きているので、美人になるための努力なんて一切しないのだ。努力する方向は、ブスでも気楽に生きる方向に心を砕いているのだ。 本当にブスならば、顔以外に課金した方が、効率良く幸福感を得られると思うのだ。

          顔に課金しない貧乏ブス

          色々思い出して眠れぬ夜

          まずは、毒母からブスブス言われてきたことを思い出してしまう。   自分がある程度の年齢から、他人様から頭が悪そうに見られてきたのだが、ごくごく幼い頃から毒母から頻繁に「なにボサラーっとした顔してるの」と罵られてきたことを思い出す。これも長い間心の奥底に封印されていたことだ。解かなくても良い封印がなぜ解かれたのかな。 幼い頃に浴びた(大きくなってからも減ってはいないが)罵声の数々がどんどん頭に浮かんでくる。 母は幼かった頃の私にも、大人以上の行動の速さや気配りを求めてきた

          色々思い出して眠れぬ夜