タコ部屋での学生生活

毎朝3時から仕事。

作業して、朝食を作って、事務所を掃除する。

毎朝毎夕、1升5合の米を消費する。朝ご飯はそれに味噌汁とおかずが一品だけ。ごはんのおかわりは自由と言っても、おかずが少なすぎて文句を言われる。味噌汁とおかずに使える食材は指定されるので、勝手に作る訳にもいかない。私に文句を言われてもどうしようもないが、上の人に文句は言えないので、私が愚痴のゴミ箱役をやっていた。

他の学生労働者が朝食を終えてから自分が朝食を食べ、洗ってある食器(学生は自分が食べた食器は自分で洗う決まりになっている)を拭いて片付ける。これで朝の仕事は終わり。

仕事が終わってから登校するまでにはまだ時間があるので、ここで横になってしまうと眠りこんでしまい、午前中の授業は欠席になってしまう。提出するレポートがあるときは、この時間に続きを書いて、通学列車の中で書いて、提出するギリギリまで書くのが常であった。

平日はほぼ毎日5限まである。普通の大学より授業の数が多い学校であった。普通の大学ではないが、卒業と共に学士の学位は取れるので、大卒扱いにはなる。

5限が終って、乗り継ぎ乗り継ぎして帰ると、夜7時前後になる。それから風呂に入って、翌朝分の米を研いでザルにあげておくと、9時近くになってしまう。お風呂に入る序列も最後なので、そんな時間になってしまう。

そうしたら、台所の電気を消して、勝手口のカギをかけて、自分の部屋に戻る。レポートがないときは、ここで直ぐ寝る。

私に与えられた部屋は、四畳半と言われたが、畳3枚の両側に幅30センチくらいの板の間がついてるくらいで、どう考えても四畳半もないだろうと思う。それだけの床面積で独立したプレハブの小屋で、トイレも何も付いていない。

レポートを書くために起きているときは、母屋は9時には戸締まりしていてトイレを使えないので、トイレに行きたくなったら、歩いて10分以上かかる駅に行って、駅のトイレを借りていた。駅のトイレは、駅の外に付いていて、24時間利用可能であったので、大変助かった。

お風呂もすごかった。
浴槽は檜造りなのだが、薪で湯を沸かしていた。
そしてシャワーがない。お湯の出るカランもない。湯船と水の出る蛇口しかない。とても平成とは思えなかった。
毎日必ず所長が一番風呂を使う。所長とその家族7人が入った後で学生が入る。私が毎度最後に入るのだが、もちろんお湯がドロドロになっている。しかし、お湯は湯船の湯しかないのである。
近くに銭湯もないので、ドロドロのお湯で体を洗うしかなかったのである。しかも、お湯を換えるのは2日に一度だけであった。

初めての試験期間。同級生の間には過去問が回っていて、試験対策ができていた。
「えー? 私はそんなの見たことないよー!」と言うと、「君、いつもすぐいなくなるじゃん」と言われた。苦学生はこういう不利も被るのである。

土日は学校が休みであるが、平日にはできない夕食作りの仕事がある。夕食は結構ガッツリ系のメニューを出していた。揚げ物の頻度が多い上に、人数が多いので、小さいが揚げ物専用スペースがあった。夏は暑くて、汗ダラダラで、鍋の中や揚がったものに汗がかからないようにだけ気を使っていた。毎日の労働時間が短いので、休みは基本的になかった。週7日勤務であった。

こんな生活を2年続けた。3年次には、辞めて、学校の近くに引っ越した。今になって思うと、よく2年もこんな生活ができたな、と感心してしまう。

私が辞めた後、代わりの女の子が来ただろうか?
来たところで、こんな生活に我慢できたであろうか? 私には知る由もない。


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