毒母に親孝行したかった過去

母が毒親だと悟るずーっと以前、母には親孝行しなきゃと思っていた。

その時までは私は、母のことを愛していたのだろう。生存戦略として。親から虐待されている子供ほど、生存するために親を愛するのだそうだからだ。

母の誕生日には、プレゼントを贈ったり、夕食を奢ったりしていた。

高校生の時、少ないバイト代から、クリスマスプレゼントとしてウールの暖かそうなスカーフを贈ったことがあった。しかし、色柄が気に入らなかったようで、くさされたのだった。

社会人になって、一人暮らしになった私が一人暮らしの母(私が一人暮らしするのは母の意向であり、親不幸ではなかった)の誕生日に夕食をごちそうすると呼び出して、待ち合わせをしたことも何回かあった。

あるうちの一回、母が飲食店の割引クーポンを持ってきて、「ここに行こう」と言ったことがあった。だから私は、母を連れて行こうと心積もりしていた所に行くのをやめてそこに行くことにした。

しかし、何がそうだったのか覚えていないが、母の気に入らないことが、母が行こうと言った店であった。店のレジで母は店員さんに文句を言い、店を出てからも店の文句を私に言い続けた。「ありがとう」も「ごちそうさま」も言わなかった。

知り合いからも、「『ごちそうさま』も言ってもらえんかったのは悲しいな」と言われた。私はただただ悲しかった。

奢る奢らないに関係なくとも、母と一緒にどこか出かけると、母は高い確率で店員さんに無茶なことを言う。それで私が店員さんに「母が失礼なことを言ってすみません」と謝ると母は、「なんも失礼なこと言ってないよ」と言ってソッポを向いて膨れるのだ。一緒にいて恥ずかしいことこの上ない。

それから幾星霜、私は母には何も期待しないことに决めた。誕生日を祝わないし、祝われないことにした。母や自分の誕生日に母から着信があれば、拒否することにした。自分の心をえぐる言葉をわざわざ聞く必要はない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?