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ひとりでに

自分の存在を希釈したくなる。
何度も何度も思ってきたことだ。
自分と周りの境目が曖昧になればいいと思う。
生活をしていて突然蒸発することができれば何も考えずに終わるのに。

自分にはうすーい希死念慮が蔓延っている。
周りへの迷惑を考えると憚られるし、ただただ
勇気や判断力がないことが今の自分の理由であり、人生を見てとれる。

調べると希死念慮は病気らしい。
勝手に病人にされた。
反骨。いらつく。

このような考え方には波があり、今はそのような時期なんだと思う。
圧倒的に面倒臭い性格だ。
テストがあるからとかやることが多すぎるとか人と喋らなすぎたとかそんな簡単な理由かもしれないけれど、そんなことでうじうじしている自分の薄っぺらさを知る。
人によって感じ方が違う。

日が落ちていくとそれは加速する。
夜がすげぇ。めちゃくちゃやで。なにあれ。
どんどん飲み込まれていく。
日中の密度の低さが夜、自分を焦らせる。
やべぇ。夜はただ不安に寝るに限る。

こんな時に血湧き肉躍るような音楽なんか聴くことができない。
カネコアヤノしかいない。そう思った。
「来世はアイドル」を聴くと歌詞やメロディ関係なしに、今のカネコアヤノの声とは違うか細さとその中にある芯の立ち方がすっと入ってくる。

「燦々」や「タオルケットは穏やかな」を聴く。
一緒に寝て、寄り添ってくれるような安心感となんでもないもどかしさにのまれる。
普段の聴こえ方と違う気がする。
聴いて良かったけれど留まらせてくる。

しっかりとした気持ちでいたい
あああ 自ら選んだ人と友達になって
穏やかじゃなくていい毎日は
あああ 屋根の色は自分で決める
美しいからぼくらは

音楽との距離感がわからない。
一つの芸術として存在し批評軸がそれぞれあると思ったら、急に隣に寄り添ってくれる。

救われてるのか現状を悪化させているだけなのかわからない。
けれど音楽に縋ってきた自分にはこれ以外の対処法がわからない。

自分で自分を勝手に追い詰めて、勝手に病んで面倒臭いけれど、自分がこんな状態ならこの世にはいっぱい同じような人がいるんだろう。

昨日友達と会って少し改善された。
どう頑張っても会うしかないと思った。
良かった。

ということで2023年ベストアルバムの一つは
カネコアヤノの「タオルケットは穏やかな」でした!
このアルバムの曲ではないけれど、
とりあえず聴いていかないか?





今、猫のもふもふ日記とかいう番組が流れている。
なんだこの神番組。
和傘と猫、囲碁と猫などなど。

p.s.
「病んでいる時にカネコアヤノを聴く自分」に酔っているのではないかと考えた。

そうである。

寄り添ってくれて、小さな幸せを一緒に見つけてくれるカネコアヤノを聴いて少し病みが改善されているのではないかと考えながら聴いている自分に酔っている激キモビトなのだ。

けれどもカネコアヤノの音楽が好きであること自体に変わりはない。
今の自分にはそれだけで良い。

いつか苦手になってしまうかもしれないけれど、今はこれで良い。

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