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BE PUNK!!!

カウンターカルチャーとは主流となっている文化的慣習に反する文化のことらしい。
古くの権威主義や保守主義、流行などへの反抗はヒッピーやパンクのムーブメントを産んできた。

カウンターカルチャーとまではいかなくとも、
この「カウンター」の感覚は
ボブディランが音楽に政治的メッセージを込めたのはもちろん、Radioheadが自身や大衆へのカウンターとして「Kid A」を産み出したり、カラフルで煌びやかなファッションが席巻している時代に川久保怜と山本耀司が黒を基調としたボロなファッションを発表した1982年の「黒の衝撃」
など色々なものを産んできた。

最近においても「足るを知る」や「エモい」などの文化はカウンターからきていると考える。
物や情報が溢れかえったり、全てが均一化されスマートになってきたこの時代に「あえて」持っている物で満足しようとしたり、「あえて」操作が面倒くさいものを使ったりしている。

ここまで書いてきたが要するに私はカウンターを産み出したいのである。

ただ多様化された現代ではメインとカウンターの関係も曖昧となり、全てに肯定がつく。
つまり現代において昔ほどのカウンターは望むことができない。
カウンターと多様化は相性の良さと悪さの二面性を持つ。
現在私は「なんかビッグなことしてぇ」と考えているのに何もしない激ダサ人間と何ら変わりはない。
またただ単に反対のことをするのではなく、そのカウンターを信じていなければそもそも意味がない。
むずすぎる。

まあとりあえず人間へのカウンターとなり得ることを考えてみると、人として存在しはじめた時点でカウンターでありパンクであるとわかった。
死に恐怖し生きるパンクもあれば、生きるとという摂理に対する死というパンクもある。
子孫を残すことに抗うパンクもある。
現代の多様化によりそれぞれのパンクも認められる時代になった。

もう何が言いたいのかわからないし、どうすればいいかわからない。
どうにかしてカウンターを産み出したいと考えて調べていたらこんな文章を書いていた。
どうすればカウンターを産み出せるのだろう。
とりあえずカウンターやパンクはクレバーな面を持ちながら「Ever get the feeling you've been cheated?」とこんな文章などに中指を立ててくれ!

BE PUNK!!!

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