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祖父(溺愛の意味を教えてくれた人)②

 祖父は月に1度か2度、私たち家族がちょうど夕飯を食べている最中に電話をかけてきた。
週末の夕飯時、黒電話が鳴ると私の母はよく
「おじいちゃんからじゃない?」
と鬱陶しそうな面持ちで電話に出た。意図して自分では直接出ないときもあった。

「どうしてお母さんは、おじいちゃんが嫌いなんだろう」
それはずっと私にとって淋しい謎だった。

 祖父はとにかくなんでも買ってくれた。そんな甘やかしが、母はすごく嫌なんだろうな、、と子どもの頃は思い込んでいた。
「何が欲しいか聞かれても、要らないっていいなさい」
そう言われながら受話器を渡されることも多々あった。

母は受話器を手で覆うことなく、そのことを言った。
祖父に聞かれてもいい、むしろ聞こえたらいいと思っていたのだろう。
そうやって受け取った電話の向こうから聞こえる祖父の
「おお、さちか。元気か?」
という声は、いつもなんともいえない寂しさをまとっていた。だから私はいつも、
「それでも私はおじいちゃんがすきだよ」
という気持ちが伝わりますようにという思いで
「うん、元気だよ」
と答えていた。

そういうわけで、電話で「○○○が欲しい!」なんて堂々と言うことはできなくなった。(我が家の電話はリビングに固定されていたから。)
すると祖父は、ある時、束になった封筒を私に送ってきた。
封筒のすべてに、祖父への宛先、切手がすでに貼られていて、私は何が欲しいかを便せんに書いてその封筒に入れ、ポストに投函すればいいだけ。
というシステムを作り出し、私に届けてくれたのだ。
実際、この封筒が有ると無いのとでは、私の投函回数に大きな違いがあったと思う。

 真っ白で、縦長で、封筒の内側には紫色の薄い紙が貼られていて、封をするときは水色のセロファンをはがす。
封筒の中央には、堂々と大きな字で祖父の名が書かれていた。
祖父の宛名には「様」ではなくいつも「殿」が使われていた。
子どもの頃、様よりも殿のほうが位が上だと思っていたので、自分で自分に”殿”をつける祖父のことが、なんだかいつも少し滑稽だった。
そして、そういう事をしかねない雰囲気を、祖父は実際に持っていたと思う。

今思えば、封筒すべてに宛名を書き、切手を貼り、それをわざわざ送るなんて、とても面倒くさい。「これで欲しいものを買いなさい」と書き留でお金を送ればそれで済むことを、祖父はやらなかった。
つまり、祖父の目的は私に何か物を買い与えることではなかったのではないだろうか。
大人になって、ようやくそのことに私は気がついた。


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