見出し画像

肺炎あれこれ 2


肺炎あれこれ1 から2ヶ月過ぎた。
記事の添付をしたくないので、簡単に要約すると、今年2月に右肩の骨が骨巨細胞腫という、病気になり、手術をすることになったが、全身麻酔をする上で、体を調べる内に肺炎が見つかった。手術が延び延びになり、漸く4月に受けることが出来た。無事成功し、次は肺炎の診察。診察は三人先生が代わり、三人目の先生が、私にとって、悩む存在となった。

二番目の先生は気管支鏡検査で見ても、病原見当たらず、おそらく、肺胞蛋白症だという。肺胞蛋白症は一種の免疫疾患で、自然治癒が三割程度。これは私が調べた結果。先生から何の説明もなかった。病名はというと肺胞蛋白症の疑い。

三人目の先生は、まあ、これからのまぬけなやりとり、私の心の声( )の中をお聞きください。

先生は、間質性肺炎も疑うと言い出だして、肺の生検を勧めた。(肺胞蛋白症じゃないんかい!)私は手術したばかりなので、先に延ばしてほしいとお願いした。というのは生検といっても、2時間の手術と同じだというのだ。まだ右肩もあまり動けなかったので無理だ。
咳と痰はひどかったので、お薬欲しいと言うと、先生は、痰切り飲んでも気休めやしなあ。(せんせーい、そりゃひどいよ。苦しいのに)と言って薬は出ず。私は自分で処方するしかなかった。体力消耗していると考え、近くの内科でビタミン剤をもらい、自力で治そうと頑張った。

そして肺炎1からの続き、8月末にctを撮った。ctはそんなに頻繁に撮れない。一年に2回位。レントゲンは何枚撮っても体に影響ないそうだ。その時は、咳も痰もましになっていた。
それなのに、炎症が少し増悪していた。私は生検覚悟したが、先生はまあ、様子見ようと仰った。(え?どゆこと?)
技師さんが、要検査と書いてますけど、と言ったら、まあ、こんなん書いてるけどね、様子みてもいいやろ。(天邪鬼かーい)
そして、付き添いの娘がお願いして、痰切りと吸入器を漸く処方してくれた。(気休めじゃなかったんかい)
生検覚悟した私はズッコケそうだった。
まあ、レントゲン見たら、4月に変化あるけどね、と仰る。ctは2月から撮ってないから、その後、レントゲン撮った時は変化が分かりにくかったのか、それまでの診察で、変化あると聞いたことがない。4月といったら、手術した月ではないか。それなら、増悪しても当たり前だと思い、4月って、私が手術した時ですよね、と言ったら先生、だんまり。(そうきたかー)
たぶん先生の頭の中は整形外科との連携が出来てないらしい。

なんだかモヤモヤ。

その日はそれで終わりと思いきや、帰り際に、生検したくなったら言ってな、という。
(ん?どゆこと?私に委ねてる?訳わかんなーい。)

少しモヤモヤ

そして次は11月2日、ということで、先日行ってきた。
いよいよ生検かなと、ドキドキしながら、診察。

レントゲン見たら、少し良くなってる。いい感じと思う。
(いい感じってどゆこと?)
その言葉で、付き添いに来てた娘が、そしたら、生検あわてなくてもいいんちがう?様子見よう、と言い出した。(実は娘は生検しろと言ってた)
それを受けて先生は、まあ、症状が軽い場合は生検してもわからない場合があるしね。
(あれれ、そうだったの?)
今まで悩んできたのは何なのだ。

訳わからないモヤモヤ

どこまでも、付き添いに合わす先生だなという印象がぬぐえない。それともいいように考えて、生検したくないという、私の気持ちに添ってくれてるのか。仕方がない、そう思うことにしよう。

とこんな調子で、様子見で、また三ヶ月後になった。
なんか、ふにゃふにゃした感じで笑えて来る。この掛け合い、ちょっと盛ったら漫才のネタになるんじゃないか。

ふと、いやしかし、このふにゃふにゃなのもいいかもしれない。あやふやなことも真実に迫ることがある。自分の身体をしっかり見ることが出来るしねと思った。


えーい、こうなったら、自分の力で治してやる。自分を信じるんだ。と意気込む私でした。
もし、大病隠れていたらごめんなさい。
って誰に謝ってるの?(笑)

1000字でまとめたかったんですが、長くなりました。お付き合いくださり、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?