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WD#99 今までの人生のハイライトを全部振り返ろう!

残すところあと1回で100回目を迎える。つまりこれが2桁ラストの回となるわけだが、ここで何を書くべきかかなり迷った。実は、WD#100は既に完成している。その内容はここでは直接触れないが、どうにかしてその内容に繋がる内容を今回やりたいと考えた。

その結果、今回は私が生まれてから、今現在に至るまでの様々なイベントや記憶をできる限り書いてみようと思う。その中には、今まで少し触れたものや、あえて書いてこなかった内容もあるのだが、もうどうでもいい。この記念すべき回で、私という人間を完全に理解してもらおうという作戦である。

あれこれ言ってても仕方がないので、早速振り返ってみることにしよう。まだ書いてないが多分かなり長くなるので注意。目次置いとくからさ。







生誕〜幼稚園編

・2007年3月22日に生誕。あと2週間ズレてたら学年が1つ下がるところだったので危なかった。ちなみに同じ誕生日の有名人として芸人のロバート馬場がいる。

・親曰く世話のかからない子だったらしく、ほっといても寝たし、トイレもできたらしい。ただ、ご飯が終わると「ご飯が終わった」という事実にキレて残ってたおにぎりを投げるという暴挙に出たこともあるらしい。

・ベビーカーに乗ってた時の記憶はほぼないが、兄が幼稚園の帽子を用水路に落とし、それを兄の友達のお母さんが必死になって取ろうとしていた情景だけ鮮明に覚えている。

・仮面ライダーを見ていた。世代としてはダブルとかオーズとかそのあたり。

・幼稚園に入ると、生まれつき目が悪い「小児弱視」であることが発覚し、早々に眼鏡をかけ始める。めっちゃ浮くのでかなり嫌だった記憶がある。

・幼稚園でツバメをトイレットペーパーの芯から作るという工作をして持って帰ったら兄に「ペンギン?」と言われて愕然とした。

・ここからしばらくの私の性格は端的に言うと「極端に恥ずかしがり屋で緊張しいな泣き虫」。

・幼稚園の休み時間が終わり教室に集まって、先生が「楽しかった人ー!」と言ったらみんな手を挙げたので私もノリで手をあげたら、たまたま「じゃあ(自分)くん!何が楽しかったのかな?」とたまたま当てられて急にみんなの目線が私に集まり、パニックになって何も言えなくなったら周りの人たちが「(自分)くん頑張れー!」と言い出して尚更恥ずかしくなり号泣。その後泣きすぎて熱が出て親が呼ばれて早退したが、家に帰ると秒で熱が下がったらしい(母親談)。

・幼稚園で秘密基地を作ることになって木材を運んだ時に木材の棘が手に刺さり、先生に「保健室で棘抜いてもらっておいで」と言われたが、保健室に行くと保健室の先生と喋ることになるのが嫌なので行くふりをして結局行かなかった。その後家で母親に抜いてもらった。

・日番制度によりたまに日番が当たったが、その度に前に出なければならず、緊張して毎回泣いてた。結果泣かずに日番ができたことは1度もなかった。




小学生編

・日記を親から買い与えてもらい、1ヶ月書いたら「ドラえもんてんとう虫コミックス」を兄と私で2冊買ってもらえるという制度が発生し、日記を書き続けて1巻〜プラス6巻の全51巻をコンプリートする。

・その影響もあってかここまで(今現在)の人生において読んだ漫画はほとんどドラえもんで終わっており、ワンピースやドラゴンボールをすべて回避する。

ここからは学年別に振り返る。

1年
・数図ブロックが面白すぎてずっと触る。

・立体の見取り図が描けるようになる。しかも、親曰く見えない部分はちゃんと点線で描いてたらしい。確かに今でもそういう図を描くのはかなり好き。まさかこんなに前からだったとは。

・「あったらいいなこんな道具」というテーマで、私が「お金でるでるマシーン」を発表したところ同じクラスの奴の「そんなんできるわけないだろ」という1年生らしからぬリアリスト発言により泣く。

・水疱瘡になるも自分は割と軽症で、うつった兄がかなり重症になり入院。その間祖母の家に預けられる。

2年
・九九の暗唱テストで誰も引っかからないであろう4の段で引っかかる。

・漢字を学び出すが、「道」のしんにょうの漢字らしからぬ曲線にビビる。

・教室が端っこだったので、廊下にスティックのりを並べてそれをスティックのりで倒すという「スティックのりボウリング」が流行し、自分もその波に乗る。

・作問に目覚める。ノートに自分が考えた問題を書き連ねるという習慣を始める。

・折れ線グラフの問題を作りたかったが「折れ」という漢字がわからず、その日ミラクル9で見た「俺」という漢字は覚えていたので、「俺線グラフ」という表記にする。それが親にバレてかなりウケて、いまだに言われる。そろそろ鬱陶しくなってきた。

・掃除の時間中に教室内の人と廊下の人が窓を開けるか閉めるかでお互いに窓に力をかけていたので、「まあまあ」と言って止めようとしたら私が触れた瞬間に窓が外れて巻き添えで怒られる。泣く。

・この頃から作文が得意という自覚が生まれる。そのため、いい作文を書いてしまうと前で読まされたりする可能性があったのでわざとそこそこの出来の作文をこの歳から書いていた。

3年
・理科で台車にプロペラをつけて走らせるという授業をしてめちゃくちゃ楽しかったが、幼心ながらに「これは今何を学んでるんだ?」という疑問をずっと抱いていた。

・本格的にポケモンカードにハマり出す。同じマンションの友人や兄とただひたすらポケモンカードをガレージでする日々。ちなみに私は終始水タイプを得意としていた。

・音楽会で小太鼓を担当する。

・日番でスピーチをやるクラスに当たってしまい、その前日からその事で頭が一杯になり、結局毎回ド緊張して泣く。本気でスピーチというものを忌み嫌うようになる(一度泣いてしまうとそれ以降「こいつはまた泣くんじゃないか」と思われてそうという理由でますます緊張するという地獄のループに苦しめられていた)。

・初めて3DSを手に入れる。初めてやったゲームはポケットモンスターアルファサファイアで、ギリギリXYを経験していない。

4年
・仲が良かった友達らのほとんどと同じクラスになる。それによりこの仲間内での遊びの頻度はますます加速し、ほとんどの日々を遊ぶことで費やすザ・小学生の暮らしを送る。

・都道府県を覚える。かなり楽に覚えられたので、その後は新潟の「潟」をどれだけ綺麗に書けるかということを試したりしていた

・担任の先生が「授業が余ったらゲームをする」というスタイルの先生だったため完全に“勝ち”の1年になる。

・何の時かは忘れたが、特に悪いことはしていなかったのに同じクラスの輩にいちゃもんをつけられてしっかり先生に呼ばれる。本来ならそこで弁明すればいいはずのところ、「先生に呼ばれた」という事実でもう終了だと思っていた自分にとってそれはもう詰んでる状況だった。そのためろくに話せず(以下略)。

・鬼ごっこをしまくる。その後、鉄棒のゾーンで鉄棒にぶら下がっていたら完全に存在感を消すことができ、そのままになっていたらいつのまにか鬼ごっこが2ターン終わっていたことがある。

・初めて岡崎体育の音楽に出会い「すげー!」と思って聴き始める。

5年
・ポケモンのアニメのサンムーン期の作画に愕然とするもしっかり見続ける。

・いい先生に当たる。ただ、本人が恐らくイライラしているときにテレビ台(天井からぶら下がってるやつ)の下に「雷注意報発令中」とか、「雷警報発令中」とかを貼っていたのは嫌だった。「こんなガキに機嫌取らせるなよ」と思っていた。

・いい先生だったが、朝廊下で掲示物を貼っていて、終わったら教室に戻ってきて「誰か手伝うやろ!」ってキレてたのは流石にビビった。そんなに怒りたりてないのか、と思った。

・兄が中学生になり陸上部に入ったため試合をよく観に行くようになる。そのころから漠然と「中学生になったら陸上部に入るんだろうなあ」と思いながら生活することになる。

・漢字の50問テストで「シホン主義」という字だけ書けずに満点を逃し、それを機に意味はわからないまま「資本主義」が漢字で書ける状態になる。

・原因も相手の名前もあんまり覚えていないが、同じクラスだった女子を本気でキレさせてしまい、完全に絶縁状態になったまま今に至る

・2分の1成人式という10歳を記念した学校の行事で保護者もいる前で尊敬する人物についての作文を読むということになり、そりゃ普通に読めるはずもなく終わる。

・これを機に、マジでどうやったら普通に人前で話ができるようになるか考えるようになる。

・その結果、「相手が自分が話しているときどう思っているかわからないのが怖い」ということを何となく自覚し、その点への対処法を考える。

・そして、「じゃあちょっとユーモアがある話にしたら、聞く人は面白いと思ってくれるし、それで相手の気持ちもわかるから話しやすいんじゃないか」という結論を叩き出し、早速次のスピーチの機会に実践したところ、初めて人前で普通に話せるようになる。このことがあって以降、急激に人前で話すのが得意になっていく。

・割合の単元で初めて算数の難しさにぶち当たる。

6年
・図書室で星新一のショートショートを読み漁る。それを友人にもめちゃくちゃ布教したところ、先生との面談みたいなときに「(自分)君はクラスのみんなの読書の習慣を定着させてくれました」というレアリティが高すぎる褒め方をされる。

・歴史の授業が始まり、今までほとんどの教科は大丈夫だったけど「これはヤバいかも」と思う。結局苦手科目になる。

・それまで行ってなかった塾にとうとう通い始める。諸事情で電車で30分くらいのところへ行く。当然友達もいないが、「別にここで友達作っても意味ないよなー」と思ったため1人も友達を作らずに中3まで乗り切る。

・携帯ゲームのブロスタを友人に誘われて始める。飽き性の私だがこれはかなり気に入って今でもやってる。今年で6年目になる。

・好きなキャラクターはコレット

・中学に進んでも大して環境が変わらないため、卒業式でも全くと言っていいほど悲しくならなかったが担任はめちゃくちゃ泣きそうだった(ていうか泣いてたかも)。

・卒業式でもらった水筒をなぜか兄が1番最初に使って速攻で壊したため、その記念ボトルを一度も使えないまま終わる。



中学生編

・中学受験などは一切考えず、そのまま中学生になる。

・作問の趣味がどんどんエスカレートしていき、現存している数学の概念だけでは物足りなくなり完全に架空の数学概念を創り出し、それで問題を作ってみたりする(これに関しては今年中にそのうちの1個の概念をしっかり記事で紹介しようと思っている)


1年
・陸上部に入り、短距離をやるようになる

・職業インタビューに行くことになり、図書館に行く。ちょうどその日ポケモンのソードシールドの発売日だったので、そこから帰る時に母親に「帰ります!今日は新しいポケモンが出る日♪」みたいな旨のメールを送って帰宅したら母親が兄をめちゃくちゃ怒ってて死ぬほど気まずくなる。

・数学のテストで100点を取る&数学の先生が結構好きになる

・陸上部の大会に出るが、自分が出場する200メートルの出場選手が4人で、そこで3位になり、下から数えた方が早いのに全校生徒の前で表彰される。

・国語の先生がやや特殊で、たまに「これは絶対やるだろ」みたいな国語の物語文をスキップして国語と全然関係ない政治的な話題をやるようになる。

・しかもその話題がやや左な感じが漂っていたのだが、その左な感じに気づいたのは3年生のときだった。

・そういう国語で行われる非国語的授業では毎回のように「自分はどう思うか」という感想を書かされたが、なんとなく先生にハマるような思考回路を見出してなかなかいい評価をもらい続ける。

・兄とゲームセンターに行って、いないいないばあ!のワンワンが車になったその名も「ワンワンカー」のぬいぐるみがあり、ふざけてなんとか2人で取ろうとするも全然取れず、そこですぐ諦めるべきだったが変に熱が入ってしまい結局2人でトータル4000円ワンワンカーに費やす。結局手に入らずにその後市場価格を調べたら800円だった。

・スーパーのイチゴの試食コーナーにいた店員の女性に突然「何歳に見える?」と声をかけられ、「は?」と思うもこれは試練だと思ってなんとかマジで答えたら本当の年齢より上を言ってしまいかなりエグい空気になる。

・でも今考えたら質問した方が悪いよな。

2年
・授業と授業の間の10分休憩のときに机の上に筆箱を出していると、ほぼ確実に席に戻ってきたら筆箱が無くなっているような、そんなクラスになる。

・朝にもらった感想を書くプリントをあと最後の欄というところまで埋めて机にしまっておいたら紛失し、仕方がないのでなくしましたーと言って先生にもう一枚もらい最初から書き直して提出。その1ヶ月後くらいに後ろのリュックを入れる棚と壁の間の隙間からそのプリントが発見される(←これが何気に1番キツかった)。

・でも担任の先生がめっちゃいい人で、毎回の終礼のときに「一言日記」という5行くらいの小さい欄にその日のことを書くというイベントがあり、どうせ日記的なことは他の人が書くだろうと思って架空の街を紹介したり本当に関係ない話をしたりと好き勝手やっていたらかなり先生に気に入られる。「毎回最後に取って置いてる」とまで言われる。

・そのことによって「自分が書いた文を読んでもらう喜び」を覚え、それが今、こうして日記に繋がっていたりする。

・深夜になんかの作業をしながらテレビでやってたアニメを垂れ流しにしていたら、「ホリミヤ」というラブコメを目撃し、何故か印象に残ったので追っかけることにする。

・追ってく内になんとなくハマって、最初に見た時から1ヶ月以内にその時でていた漫画版を全巻揃えて凄まじいスピードで読破しアニメを追い抜く。多分前に書いてたようにドラえもんしかしっかり漫画と向き合ってなかったのでこういうジャンルとの初めての邂逅で新鮮だったんだと思う。

・2ヶ月くらいで熱は収まり今ではその漫画たちは自分の机の足元に収納され埃をかぶっている。

・部活もピークになるが、大した成績を残すこともなく過ぎ去る。

・合唱コンクールで結構好きな曲に当たってやる気が出ていたが、同じクラスの奴らが全然声出してなくて結局なんの賞も取れずに終わる。今思い返すと中学2年生に合唱コンクールで声を出させる方が難しい。でも年頃のせいにしたくないよな。何事も。

・コロナウイルス蔓延により自宅待機を数ヶ月余儀なくされる。全く人通りのない道を毎日散歩したり、ひたすらゲームをしていたりしたらいつのまにかその期間も終わる。

・コロナが蔓延したての夏にめちゃくちゃ熱が出て、血液検査までするも結局コロナではないことが判明する。

・家のソファが変わる

・それまでしていた眼鏡がボロボロだったので新しい眼鏡に変える


3年
・2年よりは断然空気のいいクラスになる

・合唱コンクールで金賞を取る。最高。

・沖縄に行く予定だった修学旅行が中止になり何故か山口県に行くことになる。

・そこで毒ガスを作っていた無人島で一泊する(マジでなんで?ヤバい人生ゲーム?)

・その修学旅行中にカメラ(写ルンデス)を紛失し、2割くらいテンションが下がったまま修学旅行を終える。

・帰宅第一声は「すいませんカメラ無くしました!!」だった。

・たまたま修学旅行実行委員になっていて、修学旅行から帰ってきたあとに放送室からリモートで修学旅行報告会をすることになり、その司会を務める

・機材トラブルでめちゃくちゃ延長してしまいみんなの帰宅時間が遅くなってしまったため、「このまま終わったら文句言われそうで嫌だな…」と思い、本来そのまま終わるところをアドリブで「機材トラブルで延長してしまいましたが、今回発表した方々を悪く言うのはやめてください。」と発言して終わる。

・バカみたいに褒められる。いい気分になる。

・YouTubeチャンネル「オモコロチャンネル」に出会う。これがかなりのターニングポイントになる。

・やがてWebメディアのオモコロの記事も読み始め、「こんなに文章で笑ったことない…!すごい…!」とすっかり夢中になる。

・今考えるとこれも今日記を書いてるきっかけの1つになっている気がする。もしオモコロに出会っていなかったら日記もやっていなかったし、多分自分の感性とかもちょっと違ったと思う。それくらい、この出会いは衝撃だった。

・常にオモコロに対する憧れを抱く。

・が、周りでオモコロを知ってる人に出会ったこともないし、自分からオススメするのもなあ、と思い結局誰とも共有しないままにする。

・推薦で高校に行こうとしていたが、1日も欠かさず学校へ通う。高校入試のために学校を休む意味があんまりわからなかった。

・努力の末なんとか合格。一般入試より1ヶ月くらい早く終わったので早速出ていた高校の課題を中学校に持ち込んだりして調子に乗る。

・ここで初めてスマホを買ってもらう。別にそこまでで「スマホがなくて困った」ことがなかったのでこのタイミングで買ってもらったことに対して特に不満はない。

・そしてインスタを始める。

・卒業式で「3月9日」を歌うことになったが、いざ本番にマジで誰も声を出してなくてヌルい合唱を響かせた状態で卒業する。見ていた兄から「6月13日みたいだった」と言われる。

・卒業式終わりに友人たちと回転寿司に行くというなんとも中学生らしいことをして中学生は幕を閉じる。

・卒業式でもらったデジタルの時計みたいなやつがここ最近日付を超えるとなんの設定もしてないのに「ピピピー」と鳴るようになり、気味が悪くなって電池を取り外して放置している。




高校生編

・小6の時に「将来どんな自分になっているか書こう」みたいなのを書いたときに自分が思い描いていた高校に通うことになる。

・その時から大学は京都大学に行くと書いてあり、その意志は現在も変わっていない。

・遠かった塾ともおさらばかと思いきや、その系列の東進に通うことになり結局遠いままになる。しかし、最近はほとんど電車移動の時間で日記を書いているので、塾が遠くなかったらこんなに続いていなかったかもしれない。

・高校生になってからの話はかなり日記でもしてしまっているので、なるべくそことは被らないような話を手短に書いてみる。


1年
・同じクラスの人のうち7割くらいが自分とは違う塾の人たちの集団でかなりアウェイな雰囲気を感じる。

・自己紹介になったとき、一か八かそれまでそういう流れではなかったがかましてやろうと意気込み、さっき書いた「200メートルの大会で4位中3位になった話」をして、その後の人たちに「なんとなく面白い話をしなきゃいけない圧」をかける。

・速攻でみんなと仲良くなったわけではないが、じわじわ仲良くなっていく。2学期が終わるあたりではかなり完成していた感じがする。

・家族で城崎に1泊2日の旅行に行く。

・2日目に乗ったトゥクトゥク🛺が、まさかの登り坂でエンジンをかけても動かなくなる問題児で、何度か城崎の街中でスリルを味わう。

・「せっかくインスタとかいう表現の場があるんだしなんか習慣的にやりたいよなあ」と考えてこの日記を始める。

・城崎から帰ってきてしばらくすると家族が自分を除いた全員コロナになる。そのためオンラインで授業に参加することになる。

・まだそこまで仲良くなかったので「気まじー」と思いながらなんとかやり過ごす。

・家事を担いまくる。

・自宅待機を余儀なくされたせいで1年生の1発目の中間テストが受けられなくなり、復帰した後はいろんな先生のサインを集めるという地獄のスタンプラリーをする羽目になる。

・物理が好きだったので物理部に入ろうかと思ったが人がいなさすぎて同じ科学系の化学部に入る。自分が提案したテーマが実際に研究のテーマになり責任者になる。

・1年間そのテーマと向き合い続けて完全に疲弊し、2年目もテーマ自体は続投になったが担当からは降りる。

・文化祭で兄がバンドをする。なおそのバンド活動は現在も続いている。

・化学部の人たちに連れられて人生で2回目のカラオケを体験する。もともとカラオケにそこはかとない恐怖心を抱いていたが、空気感とはすごいものでその日は普通に楽しかった。が、今は再び恐怖心を抱いている。

・バレーボールの授業で普通に薬指を突き指して3日間くらい薬指がうまく曲がらなくなる。

・ポケモンSVを発売日と同時に開始し、ネタバレを完全にシャットダウンしてクリアする。ちなみに手に入れた初日はそればっかりやっていたので家事を全く手伝わず、若干家庭に不穏な空気が立ち込める。

・アマプラに加入。便利。

・その他学校のことなどはWD#1〜48くらいの間で書いてると思うので各々読んでおくように。


2年
・クラス替えがないので全く同じメンバーで2年目に突入する

・京大の原子炉の研究所みたいなやつを見にいく。ビビるくらい桜が咲いていた。帰りのバスは出発から到着まで友人としりとりをし続ける。

・インスタでストーリーを上げたところ、その投稿の趣旨をあんまり理解してらっしゃらない方からアンチコメントが初めて来る。

・もちろん全くノーダメージだったので「どうしてやろうかな…」と考えたが、なんかアンチコメントを送ってくる時点で何を話しても分かり合えなそうな気がしたのでツラツラと送られてきた批判に「はーい」とだけ返信して終わる。ちなみにまた来たら面白いと思ってブロックはしていないがアンチコメントは来なくなった。勝った。

・日記を1年やったので一般公開を始める。より身元がわかる情報を削る意識を高めたが、多分ここまで99回分のデータを集積したら特定されそうな気がする。

・運動して無さすぎて体力テストで100メートルを全力で2本走ったら翌日普通に体調不良になって学校を休む。陸上部の影はもうどこにもないことを痛感する。

・文化祭で裁判のシナリオを作るが不発

・体育大会で応援合戦を色々試行錯誤してみんなで練習するが不発

・北海道の修学旅行で劇をするも不発

・化学部に時間が経過するほど行かなくなる

・玄関前にセミがいたという理由で塾に行くのをやめた日があった。

・なぜかめちゃくちゃ咳が出る日があって、そのせいで帰省に自分だけ参加できなかった。

・東進の受講がシャレにならないくらい溜まり始め、現在進行形でその制裁を受ける。

・シアトルに2週間滞在してから、理由はわからないが1人で外食することになんの抵抗もなくなる。内面の変化だとしてもかなりショボい。

・夏休み中に初めてコロナになり、熱が出過ぎて2分くらい気を失う。その後も1週間ほど熱が下がらず寝込むが、課題も全然終わってないし東進も行かなきゃいけないしといったようにやらなきゃいけないけど体調的にできないことに追いやられる苦しい日々を送る。

・オモコロがやってる一般の人たちの記事を集める大会「オモコロ杯」に試しに1つ記事を送ってみるももちろん落選で、「いつか賞取ってやるぞ…」と意気込む。

・それから思いついたアイデアをスマホのメモにこまめに記すようになる。

・自分が去年まで持っていた化学部のテーマが、私が手を離した途端いい評価を受けるようになり複雑な心境になるも、それ以前に全く部活に行ってないのでそう思う権利すらないことを自覚する。

・1年くらい触ってなかった大喜利の投稿サイトに久々に投稿したら200人くらいの中で4位になる。

・だいぶ遅めにYOASOBIを聴くようになる

・学校の研究活動で一応リーダーを務めるが、研究の内容的な面も、人間的な面もあまり思うように行かずに結局1.2学期全てをほとんど予備実験同然の扱いをする。

・サーモグラフィーカメラを購入してからというもの研究が怖いくらい進み、発表スライドでは1〜2学期の内容がすべて実験1に、1月と2月の内容が実験2と実験3に割り振られる。

・それを同学年の生徒全員に見せるという今までやってすらいなかった新しい学校行事のトップバッターになるもなんとかやり遂げる。

・友達の家に行きIbというホラーゲームをやる。友達の家に行くという体験自体かなり久々だったのでとても良かった。

・東進の京大直近日体験受験を受ける。実際の入試と初めて対峙するもほとんど歯が立たず、「おもしれーじゃねえか」と1段階エンジンがかかる。

・明石に1人旅に行く。


3年
・ずっと書いてた日記が#100を迎える。




といったところだろうか。いやあ、長いね。お疲れ様でした!!

ここまで17年間のハイライトをまとめてきたが、改めてこうして見直してみるとなかなか起伏のある人生を今の所送れている。平坦な人生よりずっといいじゃないか。この調子で生きていきたいね。

ちょうど文字数としては10000文字くらい。私と同じ世代の人たちは人生のハイライトをまとめると10000字になるということだ。ここからまた生きていくにつれてどんどん増えていくんだろうな。

ここで書いたことについて今からまた触れるということはないです。結構時間かけて書いたから疲れた。

そして、あくまでもこれはWD#100に向けた準備である。今回で私の過去と現在について書いたから……、というところで止めておこうか。

ダラダラ伸ばしても仕方がないので、ここはスパッと終わります。来週お楽しみに♪





【今週の来てないお悩み相談】

これを書き上げるのにどれくらい時間がかかりましたか?

約2ヶ月にわたって色々思い出しながら書きました。次回も覚悟しておいてください。

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