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WD#94 110枚の成長

卒業式に出た。

いや、私が卒業するわけではなく、在校生として2年生全員が卒業式に出席したという、ただそれだけのことである。今までコロナで2年生は出席できなかったけど、緩和されて今年から大丈夫になったらしい。

正直なところ「行く必要あるか?」と思っていたが、まあせっかくの祝い事の日にそんな文句を垂れても仕方がない。

1番印象的だったのは、やっぱり卒業生の答辞だった。元生徒会の人がやってたんだけど、途中で感極まって泣き出して、その涙ながらの学年への感謝や家族への感謝(これがかなり喰らった。親でもないし卒業もしないのに)がね…なんか、何ていうんですか?こういうの。今の私の語彙ではカバーできない感じでした。

その後、先週に行く気が全くないと言ったそばから化学部へ行った。理由はシンプルで、先輩が来るって聞いたから。

しばらく塾の勉強などしつつ待っていると来た。ブレザーの胸ポケットに赤い花を差している。軽く会話をし、後日また開こうということになっているお別れ会の日程調整をして、先輩は颯爽と廊下を駆けていった。

その去っていく姿を見て、なぜかわからないが「ああ、卒業ってこうだよな…」と思い少し寂しくなった。卒業式の後のあの忙しなさ。もう最後だからと言って履いていた本来体育館しか履いちゃいけない靴。今、この瞬間に人生のある一章が完結した人たちは、言葉には出さずとも、その特別な空気感を期せずして纏っている。それに色があるとしたら、まさに青といったところだ。青春とは言うものの、本当にそのオーラは青かった。

そして、それを感じ取ると同時に、中学の卒業式もこんな感じだったな…とフラッシュバックしてきた。あの時の空気感が、今もまたここにある。確か卒業式が終わった時友達と今まであんまり行ったことがなかった回転寿司に行ったりした記憶がある。暖かい日だった。そんなことまでも記憶の糸を辿ってきたのだ。

学校を出る時も、嬉しさ、悲しさ、そしてドキドキ(まだ入試結果が出てないから)、さまざまな感情が付随した青いオーラを払い除けながら、足早に階段を降りた。

来年は向こう側になるという自覚はまだあまりないが、また一年過ごしていく中で、少しずつ、その空気を掴んでいけたらな、と思う。




その前日、卒業式の予行練習があった後、私のクラスのGS科が1〜3年生まで全員集まり、GS科の内部だけで卒業式をやろうというお決まりの行事があった。

去年それを経験したとき、我々の先輩(つまり今年卒業する人たち)は漫才をやっていた。なので、何となくその習慣を受け継ぐなら私たちも誰かが漫才をしなきゃいけないのかな…と何となく思っていた。

しかし、私は知っていた。先輩たちが披露した漫才は、全て既存である。M-1グランプリの予選でそこそこの知名度のコンビがやっていたネタを、「まあこれくらいなら大丈夫だろう」という策略で披露してきてるな、というのはずっと察してきた。

なので、せっかくならオリジナリティのあるものをやりたい、とはずーっと考えていた。

そしていざ我々が何か披露するターンになった時、偶然私の手元にはフリップネタが180枚存在していた。2学期からすこしずつ書き溜めていたのだが、披露する場がないなあ、と何となく思っていたので、ここは勇気を出してやらせてもらうしかない。直談判してフリップネタをGSの人たちに見せることが決定したのだ。

このことが決定した時から、私はフリップの取捨選択を開始し、苦労の結果、180枚のフリップは100枚になった。その上に新しいフリップを10枚追加し、順番もかなり変えて、完全に「書き溜めたもの」から「見せるもの」に変えた。

しかし、本番が近づくにあたって、少しずつ「スベり」への恐怖が増す。何より、1ヶ月前に修学旅行の劇で普通に滑った経験がチラつくのである。しかも劇の時はあくまで「裏」の人間であったが、今回はバリバリ「表」、しかも1人。ウケを1人で独占できるのはでかいが、スベりも1人で請け負うのはかなりキツい。

でも、ウケたらめちゃくちゃ楽しいだろうし、それにベットするしかない。そういう気持ちで思い切って本番に臨んだ。

ウケすぎた。初っ端からウケて、そこからの持ち時間15分、ほぼ全てウケた。やってる本人からして、ただただ最高の時間だった。体感では30秒くらいしかなかった気がする。

スベるかもというのは完全に杞憂で、自分が面白いと思ってることが、みんなにも面白いと思ってもらえる、というこの上ない幸せを、15分間も味わわせてもらったのだ。先生もいたが、何人もの先生から「良かったよ〜」とか言ってもらえた。もう完璧。生徒にしかウケてない訳ではなく、ちゃんと全員に伝わった。

やり終わった後1年生の出し物もあったが、そのときは私は完全に燃え尽きたので何の記憶もない。身体が熱くなっているのをただ感じることしかできなかった。それだけ記憶している。

会も無事終わり、調達したプロジェクターを戻しに行ったりしてたら帰りに全然人がいなくて、一部の人からしか直接感想を聞くことができなかったのがすこし残念だった。でも、1人で帰っていたとき、清々しい青空がとても気持ちよく、その時、ふと昔の自分のことを思い返してみた。 




実は、私は昔、到底人前で話すことができる人間ではなく、ましてや人を笑わせるなんて、そんなことは論外だった。

この過去の話は近々詳しくする予定なのでざっくり言うと、小学生だった私は人の注目を浴びることを極端に苦手としていて、スピーチなどで人前に立つと頭が真っ白になってガチガチに緊張し泣き出してしまうような人間だった。

そのため、スピーチが来週あたりに迫ってきてるな、と察知するともうそこから憂鬱になり、結局ろくに話すこともできない、そんな日々を過ごしていたのだ。

この人前恐怖症(造語)を克服したのは小学5年生のときで、あの時の喜びはいまだに忘れない。スイミングスクールから家に帰る車の中で母親に「今日ちゃんとスピーチできたよ!」と嬉々として報告したのを覚えている。母親も心配してくれていたので、とても喜んでくれた。

そこから年月が経つほど、今度は人前に出ることを得意とするようになり、今回みたいな人前でネタをできるというようなところまで成長することができたのだ。

つまり、私は昔から今回のような人前を得意としていた訳ではなく、むしろ1番嫌いで、恐れていたことだった。だからこそ、今回こんなことができたという事実を帰り道にひたすらに噛み締めたのだった。

もし、小学3年生くらいの、来週に控えたスピーチに頭を悩ませていた頃の自分に今会えたら、すこしだけでいいから伝えたい。

今人前に立つことをとっても怖がってるけど、数年後、人前でフリップネタをできるくらいまで成長するよ。と。

そして何より、そんな自分を受け入れてくれるいい友達や環境に巡り会えるよ。と。

そう言ってあげたら、来週に控えた日番のスピーチも、少しは勇気を出せるんじゃないかな。




私は、人前に立てなかった頃のことを今まで書いてこなかった。それは、前までは自分にとって嫌な記憶だったからである。

でも今回のことがあったおかげで、ちょっとはその事実もプラスに捉えることができるようになった。前までは消したい記憶だったものに、少し目を向けてみようという気になれた。

人間は成長する。別にそれは背丈とかそれだけのことではなく、私のように苦手だったものがだんだん得意になっていくとか、そういった内面的なものを含めてである。

この先、私はどう成長しているのだろうか。例えば10年後とか。今の自分が苦手なことができるようになっていたり、逆に今の自分ができることができなくなってしまうということも出てくるだろう。

だからこそ、私は今の自分のことを、ここに保存しておきたい。良い記憶も、嫌な記憶も含めて、自信を持って「今の自分はこうです」と主張していたい。

そして、未来の自分がこれを見たときに、消したい記憶なんかではなく、自分を形作っているひとかけらなんだと思えるような、そんな日記でありたい。

そんな気持ちで、私は今日もここに文字を綴る。








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