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時論【ハロウィン -コスプレと日本人の親和性について- 】

 2023年 今年のハロウィンは昨年に比べると下火に終わったようである。時代の景気にも左右されるようだが、ひとまず警察権力側の勝利といったところだろうか。
 この攻防戦、個人的にはフラットな見方をしており、どちら側につく気もないのだけど、毎年同じ日本人として興味深く観察させていただいてる。

 ハロウィンでの仮装行列が日本で流行りだしたのは、コスプレ文化との相性が抜群だったからに他ならない。そんなコスプレが日本発祥なのは日本人の特性を顕著にあらわしていると思う。コスプレ、つまりcostume playは、【衣装 遊ぶ】と意訳でき、その姿勢は端から本気ではなく、あくまで成り切る対象を模して戯れる目的であると読める。
 極端な言い方をすれば、中途半端でありファジー(曖昧)な立ち位置なのである。その証拠に彼らはビジュアル、ポージングに砕身する傍ら、中身に関しては無関心。コスプレ中、会話してみても普通に応答するか、ゴッコ遊び程度の厨二病的役作りで、二三混み入った質問すればすぐボロが出る。
 この奇妙な諦観。成り切りはしたいけど、中身まで成り切るにはわたしなんか全然役不足。推しのキャラを汚すことになる。と心中そこまで落とし込めてるレイヤーは少数だろうけど、やってることは確実にファジーだし、その仮想と現実の狭間、ぬるま湯に浸かった状態を楽しんでいるようにみえる。いかにも日本人らしい感性だ。
 一方本業で俳優をやっていたり、少しでも本気で演劇に取り組んだことのある人なら、この世界はきっと とても「むず痒い」にちがいない。キャラ変のスキルを身につけてしまった者からすれば、すべてが茶番に見えてしまうからである。なかには例外もあるだろうが、成熟した大人たちはまずコスプレしないだろう。まさに大人になりきれない大人たちによる幼稚化のすすんだネオテニー文化と言える。

 私の予見では、この先コスプレ文化は下火になるのではないかと思っている。というのも仮想と現実の狭間を楽しむだけが目的であるならば、多大なリスクを伴うコスプレよりも、リスクが少ない仮想空間へのバーチャルダイブのほうがよほど利便が良いからである。
 おそらくこれから近い未来、ますます仮想現実の構築は拍車がかかる。そこにいけば、歳も性別も容姿も気にせず手軽にコスプレのような快楽が得られるはずだ。
 とはいえ現実体験ほど実感の勝るものはないので、逆にそれらに自信をもつ者、自己顕示欲、承認欲求欲の強いタイプの人間はコスプレを選ぶのかもしれない。二極化が進むだろう。

 さて来年のハロウィンではコスプレ人口がどのように推移するのか。今後も興味深く見守っていきたい。

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