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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 12

8月19日(金)

Sさんと学生食堂でお昼を食べていると隣に座っていた男子学生二人が話しかけてきた。一人は日本人の友達がいるらしく「日本人はかわいい(tres mignone)」としきりに言う。社会学、経済学を学んでいるそうだ。まじめそうに見えたのでつい話し込んでしまった。 

そのうち彼らは突然「これからダンスをしに行こう」と言い出した。ダンス? もちろん「忙しいから」と言って断った。すると「じゃあ、夕飯をいっしょに食べながらおしゃべりしよう」と言う。「今日はだめだ」と言うと「じゃあ明日は?」と聞いてくる。「明日もだめ」と言うと「じゃあいつならいい?」と聞く。はっきり「いやだ」と言えばいいのだろうがSさんも私もその一言がなかなか言えない。

結局何とか取り繕って別れたのだが話に聞いていた通りだ。フランス人は知らない人でも興味が湧けば誘ってくると言われていた。すべての人ではないだろうがそういう人が多いのかもしれない。誘われたときははっきりと自分の気持ちを伝える。断るにしても相手が納得する理由で断る。これが鉄則だそうだ。良い勉強だったと思いながら私たちは学生食堂を後にした。

だが、それで終わりではなかった。寮に帰って少し昼寝をしたあと夕方になって再びSさんと映画に出かけた。すると映画館の前で昼間の学生の一人とばったり会ってしまった。彼は「映画が終わったらどこかに飲みに行かないか」と誘ってきた。このときは「あなたに付き合う気はない」と言ってきっぱり断った。悪い人ではないと思う(本当はどうだかわからない)が知らない人には用心するに越したことはない。昼間の「学習」が活かされたと思った。

8月20日(金)

パリに来た多くの観光客が最初に訪れるという凱旋門を私は滞在3週間目にしてやっと訪れた。凱旋門は他にもあるが有名なのはシャンゼリゼ通りの西の端、エトワール広場(のちにシャルル・ド・ゴール広場と改名)にある凱旋門で、アウステルリッツの戦いに勝利したナポレオンが造らせたものだ。屋上までのエレベーターがなかったので上には登らず下から眺めるだけにした。門の下には第1次世界大戦で亡くなった無名戦士の墓があった。
 
凱旋門のあとシャンゼリゼ通りをぶらぶらした。凱旋門を中心に12本の通りが放射状に広がっているが、そのひとつがシャンゼリゼ通りだ。有名ブティックが建ち並び、たくさんの観光客でにぎわっていた。私にはそれほど興味をそそられるものはなかった。
 
そのままコンコルド広場まで歩き、マドレーヌ寺院の前を通り、さらにチュイルリー庭園まで足を運んで一休みした。公園で一休みしたあとは老舗の百貨店ギャラリー・ラファイエットに行き日本へのお土産をいくつか買い込んだ。


8月21日(土)

週末なのでSさんとシャルトルの大聖堂に出かけた。麦畑の中にそびえる日本の尖塔で有名な教会だ。だが麦畑の中に見えるのは遠くからだけで。実際に近くに行くと尖塔は周囲に建ち並ぶ家々屋根の上に見える。でも教会の建物はとても立派で、内部のステンドグラスが実に美しい。特にブルーは深い海の中を思わせる。しばし見とれていた。

8月22日(月) 

パリにはおしゃれなカフェがたくさんある。歴史ある有名なカフェも多い。サンジェルマンにある「カフェ・ド・フロール(Café de Flore)と「カフェ・レ・ドゥー・マゴ(Café Les Deux Magot)」は特に有名。前者はサルトルやボーボワールなど実存主義の哲学者が活動の拠点としたところ。後者はピカソやヘミングウェイなど芸術家や作家が多く集まり、多数の文学や芸術が生まれたところだ。「カフェ・ド・フロール」に入ってカフェ・オレを飲んでいるとパリではカフェがひとつの文化を創り出していると強く感じた。
 
授業の帰りにソルボンヌ広場にある本屋に行った。大学近くの本屋だけあって学術書が多い。プルーストの『失われた時を求めて』(A la recherche du temps perdu)を買った。ガリマール(Gallimard)出版の3巻セットでもちろんフランス語。読めるとは思えないが、いずれ読める時が来るだろうというぐらいの気持ちで買った。でも何十年たった今も読破できず、書棚の片隅で眠っている。日本語版だって私には難解だ。

ガリマール版の3巻セット↓

講談社の7巻セット↓


8月23日(火)

数人でモンマルトルのシャンソニエ「ラパン・アジル」に行った。「おりこううさぎ」という名前のこの店はパリでも老舗のシャンソニエで観光客にも大人気だ。この日も客が溢れていた。お酒を飲みながらシャンソンを聞いたり、歌ったりしてみんなで楽しむ伝統的な酒場だ。いろいろな国の人が集まっているようだった。私たちが居る間にも日本人団体客が何組もやってきた。ガイドに連れられてぞろぞろ入ってきて30分もたたないうちに出て行くグループもあった。あれでは酒場の雰囲気さえ味わえないのではないかと思った。

夕方に出かけた私たちは夜中過ぎまで店にいた。12時前あたりから旅行客が減り。地元の人が増え始めた。本場の雰囲気が楽しめそうでワクワクしたがメトロの終電時刻が近づいてきたので残念だが12時半に店を出た。パリに来て最初の頃オペラ座の帰りに遭遇した怖い出来事を思い出した。その日もメトロの地下道ではたくさんの浮浪者が目に入った。華やかなパリの別の姿がそこにあった。
 

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