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17歳の少年が挑んだインドの乳製品業界の攻略法

こんにちは!

Noteを始めてから日課になっている、インドのYoutubeやネットメディア等での情報収集。

最近は、Youtubeが私の好みを覚えてくれたのか、非常に良質な英語チャンネルを多数紹介してくれる。

そこから、今回はビジネスの話にしようと決めた。

ビジネスには、地域性を超えたものがあると感じ、企業・起業家の分析とそこから見てくるビジネスの学びについて、皆さんに共有していきたいと思う。


内容は、インド最大の乳製品メーカーのひとつのMilky Mistの物語だ。

お金も、つても、何もない17歳の少年だったSatish Kumar氏が、いかにして200億ルピーの帝国を築きあげたのか。

そこには、インドの過酷なビジネス環境を乗り越える、緻密なアイディアがあり、ビジネスの学びが詰まっていた。

それでは解説を始める。


インドの乳製品業界:

乳製品は、短い賞味期限と薄利な利益率から、利益を出すのが難しいビジネスの1つだ。

賞味期限は4日、利益率は平均3~5%と言われている。

インドは白い革命といわれる乳製品業界の構造改革により誕生した、協同組合が幅を利かせており、新規参入は非常に難しかった。

1960年代に、インドは5万トンの乳製品を輸入する輸入国だった。

しかし1990年代には、乳製品の純輸出国になった。

それは、酪農家たちで作られた協同組合が、価格の決定と供給・販売を行うことにより、業務標準化が行われ、無駄が削減されたためである。

今回の主人公のSatish氏がビジネスを始めたのはこの時期である。

学校を中退し、弱冠17歳だった彼は、廃業の危機にあった父親の牛乳販売事業を引き継いだ。


付加価値の戦略:

彼は、すぐに牛乳販売事業の大きな問題に気づく。

それは非常に薄利多売であること。

冷蔵庫がほとんど設置されておらず、熱帯の南インドでは、牛乳は煮沸しても2日間しか持たず、搾乳から10時間以内に出荷しなければならない

零細業者で資金力のない会社では、他社と差別化できる余地もなく、利益はせいぜい3%から5%程度だった。

そこで、Satish氏が行ったことは、牛乳販売からの撤退し、より利益率の高い乳製品を売ることだった。

具体的には、パニールの製造・販売を始めた。

パニールとは、牛乳で作ったチーズのことで、豆腐のような見た目をしている。

厳格なヒンドゥー教徒は、ベジタリアンであり、肉類を食さないため、タンパク質は主に乳製品からとる。

パニールは今日、貴重なたんぱく源として、ベジタリアンを中心に人気がある。

牛乳の利益率は5%未満だが、発酵させパニールにすると利益率は20%に跳ね上がる。

Satish氏は、牛乳に付加価値を加えると4〜5倍の利益率になり、競合他社も一気に減ることに気づいた。

当時は、協同組合もパニールなどの加工品の販売には注力していなかった。


パニール


市場の転機:

パニールは価格が高く、一般家庭には普及していなかった。

また、冷蔵庫での保存が必要であり、1995年時点で家庭普及率が20%未満だったことも一因であった。

1991年にはオイルショックにより、インドの保有外貨が底をつき、デフォルト寸前になった。

ここで、インド政府は規制の大幅緩和を行い、これまでの社会主義型計画経済からの大転換を迎える。

市場が開かれ、多くの中流階級が生まれ、彼らの食文化が変化を始める。

これにより、突如、パニールの巨大市場が生まれた。

Satish氏は、これ好機ととらえ、パニール市場へと進出し、順調に売り上げを上げていくが、壁にぶつかる。

酪農家からの牛乳の供給が安定しないのだ。


サプライチェーンの改善:

当時、社会主義型計画経済から脱したばかりのインドでは、契約文化が農村部までは浸透しておらず、事前に酪農家と契約を結んでも、

しばし、競合他社へ乗り換え、牛乳の供給を突如ストップされることが横行し、頭を悩ませていた。

この問題を、酪農家の協力関係を築くことで乗り越える。

Satish氏は、酪農家には2つのビジネス上の大きな問題が存在し、これらを支援することで酪農家の信頼が得られると考えた。

1つ目は、資金調達の難しさである。銀行は、零細酪農家には融資を降ろさないのである。

2つ目は、牛の健康管理である。牛のための病院が近くになかったり、資金難から牛に何かがあっても医療を受けさせられないのである。

このため、病気の牛乳を供給されることもあり、牛乳の質が安定しない。

解決策として、彼は酪農家への支払いを週ごとの支払いに変え、これまでの供給実績により融資を銀行に代わり行うようになった。

これにより、酪農家は十分なキャッシュフローを確保することができた。

また、24時間運営の動物病院を立ち上げ、医師にすぐにアクセスできる体制を構築した。

こうした努力により、競合他社へ乗り換えは激減し、また高品質な牛乳を安定的に供給することに成功した。


販売網の開拓:

質の高く、ある程度の量の牛乳を手に入れたSatish氏、今度は五つ星ホテルへの営業を始める。

Satish氏が作り上げたサプライチェーンは競合他社を上回る品質であり、五つ星ホテルは多少価格が高くても、品質の高いものを買うはずと踏んでいた。

実際このビジネスはうまくいった、しかし、彼の野望はMilky mistをナショナルブランドにすることであった。

全国でも324軒しかない五つ星ホテルだけに売るのでは、それでは足りない。

ここで彼は大勝負に打って出る。

販路をキラナストアに展開することだ。

キラナストアとは、インドの食品・日用品市場を支える小規模な小売のことである。

インドには約1,500万軒のキラナストアが存在し、小売りの売り上げ9割を占めるともいわれる巨大市場である。

だが、またしても大きな壁にぶつかる。

多くが家族経営の小型店舗のキラナストアには、冷蔵庫が存在しないことだ。

パニールは、冷蔵設備なしでは、48時間と持たず腐ってしまう。

そこでSatish氏は、パニールを販売を約束したキラナストアに2万台の冷蔵庫の貸し出しを始める。

また、よりパニールの賞味期限を延ばすため、冷却設備を備えた自社トラックを採用し、製造から運送・販売まですべてのプロセスを冷却設備を備えることに成功した。

これにより、キラナストアへと販路を広げ、現在までに200億ルピーの収益を上げる企業へと成長した。


キラナストア


さいごに:

以上がSatish Kumar氏が作り上げたMilky Mistの物語だ。

彼らの物語から学べることは、3つある。

1つは、投資を行い、付加価値をつけ、競合他社との価格競争を回避することができるということ。

目先のキャッシュだけにとらわれず、商品を付加価値のある製品に変える投資行うことの重要性である。

2つめに、自己利益の最大化に固執することなく、パートナーと協力することで、新たな市場を開拓できるということ。

パートナーとの協力関係を築くことが、収益率の高く質の高いパニールの提供につながった。

最後は、安易な外部委託に頼らず、自前でコントロールすることで、商品価値が創造される。

キラナストアへのサプライチェーンを外部委託に頼らず、自社で運送から販売まで一貫した品質管理を行い、商品価値の創造へとつながった。

もし彼らが、冷蔵設備のある運送会社へ外部委託していれば、キャッシュフローを生む一方で、品質へのコントロールを奪われてしまい、品質の担保は難しかっただろう。


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