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真面目な登場人物ばかり出てくる、真面目な映画『落下の解剖学』映画感想

3人と1匹の犬の家族が暮らす雪山の山荘で起きてしまった父親の落下死亡事件、現場や死体から事故と断定することが出来ず、殺人罪の被疑者として起訴されたのはその妻、そして唯一の証人は視覚障害を持つ息子1人だけ。
果たして父親は事故で死亡したのか、母親が殺したのか……

雪山にぽつんと構える一軒の山荘というクローズされた空間で起きてしまった悲劇、夫婦の愛憎を巡り、息子の秘めた想いが描かれた法廷ミステリーがここに開幕する……!

事件が起きて、その裁判を丁寧に描いた映画、上映時間は150分、長い。
僕の感想としては脚本が秀逸だけど真面目な映画だなと感じた。

事件前と落ちた直後の様子は描かれるものの、父親が落下するシーンはなく、この事件の真相は最後まで明らかにならない、というかできない。
だから、母親は殺人として起訴するものの裁判では裁判官が有罪と確信できるほどの証拠を検察側は出せないし、弁護側も無実を立証できない。

そのため観ている側も、果たしてこれは事故なのか、殺人なのか分からないままひたすら事件の状況を考察して、裁判の行方を見守るしかなかった。

『落下の解剖学』の驚くべきところは脚本の完成度だ。
あえて事件の真相を見せず、見ている人たちもその判断ができない、ということは殺人と事故その狭間で飽きさせずに有耶無耶にさせるような裁判の展開を見せ続けなけばいけないが、それがちゃんとできている。

有耶無耶、という表現をしたが事件前の様子や人間関係はきちんと明らかになっているので、決して煙に巻くような演出はなく、考察の余地が大幅にある、なのに最後までどっちに転ぶかわからない。
ミステリーとしてもかなりフェアな方だ。

裁判に必要となる事件当日の状況を見てみよう。
父親は3階の屋根裏部屋の窓、もしくは2階のバルコニーから落下して物置小屋近くにうつ伏せの状態で死亡していた。
しかし、父親の死因は落下した時の衝撃ではなく、司法解剖の結果、その直前に負っていたと考えられる頭部の傷だった。
落下地点の近くにあった物置小屋には血痕がついていて、これは落下前に争っていないと血痕が付かない場所についていたと検察側は主張している。
そして、後半に明らかになるのだが、夫婦は事件前日にもみ合いになるほどの喧嘩をしていて、その録音テープが残っており、母親が情緒的に不安定だったため動機は十分にあると主張している。

しかし、落下前に母親が父親の頭部を殴ったとなれば凶器があるはずだが、山荘周辺には凶器が落ちていなかった。また、物置小屋の血痕は、揉み合えば血痕がつくとのことは認められたが、被害者の父親が凶器を振りかざす母親から相当体を無理にのけ反らないと血痕がつかない場所にある。
父親と母親の体格的に父親がのけ反って避ける動作をするなら、母親の腕をつかんで止める方が容易いし、父親がのけ反ろうとしても母親が凶器を振り下ろそうとするなら、母親も凶器の重さで落下のリスクがあるとの見解で、凶器での犯行は現実的ではない。
また、事件前日にもみ合っていたというのはあくまで母親の心象を下げるだけの状況証拠にしかなっていない。

つまり、どっちかを決めつけるとかならずどっちかに矛盾が生まれてしまいジレンマが陥ってしまう。
僕はミステリーが好きなので、白黒はっきりつけてくれ!と少し感じた、本格ミステリーを期待している人は合わないだろう。
ロジックはしっかりしているのに、話に矛盾があるためグレーゾーンの中でひたすら裁判を描き続けられたストーリーで、脚本のバランス力と会話のロジカル性は秀逸だ。
流石アカデミー賞の脚本賞を受賞した作品だなと感じた。

そんな完成度の脚本はとてもかっこいい、でも辻褄を合わせることに必死で真面目な映画になりすぎている。結果的に、遊びや緩みがない映画になってしまった。

真面目なのは脚本だけではない登場人物も真面目な印象しか受けない。
主な登場人物は死亡した父親、被疑者の母親、その息子、検察と弁護人だ。

夫婦どちらも小説を書いていて、父親が捨てたアイディアを拾って小説を書いてヒットさせてしまった母親という夫婦泥沼背景があったり、父親がシッターに子どもを迎えに行かせた日に、息子が事故にあったせいで視力を失ってしまったことで、罪悪感を感じている。
一方、母親は父親を少し恨みつつも、家族の将来を考え、前をむいて歩こうとしていたりとそれぞれ抱えている想いから人間性が垣間見える。
しかい、裁判では一挙手一投足が裁判官への印象に繋がるため、感傷的にはなれずに、ただ本当のことを淡々と供述して、後は弁護士を信じるしかないため、人間性は過去の言動から察するしかない。
実際の裁判形式に則っているようなリアルな裁判シーンだった。

また、裁判で大きな役割を果たすのは、検察と弁護士の存在だ。
法廷ドラマと言ったら癖のある法曹キャラの活躍が醍醐味とっても過言ではない。この映画でも嫌味な検察官に、個人的な理由もあって守ろうとする弁護士が出てくるが、あまりキャラクターに主張がなく、淡々と裁判が進んでいく。検察側はかなり良いキャラクターをしていたのでもっと主張して裁判をかき乱して欲しかった。

僕の好みの人選になってしまうけど、『リーガル・ハイ』の古美門弁護士や『ベター・コール・ソウル』のジミー・マッギルのようなクセ強キャラが出てきて欲しい……そうしたら事実を捻じ曲げてしまうのでテーマには合わないだろう。
でも、この事件をベースにしてもしこの弁護士が弁護していたら……みたいなのが見てみたいと思った。

事故か、殺人かわからないまま膠着状態が続く裁判で、物語としては真相が見えなくても法廷では有罪か無罪か決着をつけなければならない、そこで鍵となるのが視覚障害を持つ息子だ。

息子は視覚障害を持つ故に事件で唯一の関係者にも関わらずあまり裁判では信用されずに、裁判中に両親が揉み合いの喧嘩になっているほどの関係だと知らされたり、被疑者の母親には裁判で有利になってしまうから母親との干渉を避けろと忠告されたり、結構可哀そう。
でも、息子もちゃんと裁判に向き合っていた、11歳にも関わらず彼は大人だ、泣き言も言わず、とても真面目なのだ。

真面目に事件を客観視して、感傷的にならず父親と母親どちらの肩を持たない様に将来を考えて思考する。
最終的には彼の証言が裁判の左右を決めることになった。

そして、もう一つ真面目な登場人物を紹介したい、それは息子をサポートする盲導犬スヌープだ。
大きな犬で目は三白眼みたいで怖いが、モフモフしていて動いているととても愛嬌がある。見た目と名前から察するにスヌーピーモチーフなのか、こういうところは遊び心?

スヌープは息子の目となり生活をサポートする、彼も数少ない事件の関係者ということである説を立証するための鍵となった。
どんな時でも息子の事を考えて、時には寂しさを感じる人すべての人に寄り添っており、ラスト母親に寄り添いながら寝るシーンはとても印象的だ。
忠犬と言う勿に相応しい。

アカデミー賞でも出席していて、それが話題になっていた。

本当にお堅い映画だった、いい意味で。いい意味でだよ……!

最後に一つだけ、すごいキャッチ―で印象的なシーンが1つだけある。
それが冒頭のシーンで、父親が生きていて彼が作業部屋で家の周辺まで聞こえるようなもの凄い音量で音楽を流しており、リビングにいる母親が音を我慢しながら山荘を訪れた若者のインタビューを答えるというシーンがあり、そこで流れる音楽が印象的だった。
その曲は『PIMP』
大音量で流れていることもあり印象に残って、映画館を出て真っ先に曲を調べてしまった。

真相が裁判でも見ている人にとっても分からない様に矛盾をあえて発生させる物語を構築していく、裁判シーンはリアル寄りで、フランス語と英語の会話を混ぜながら会話するインテリに富んだ会話劇もあった。
僕の偏見だけど脚本家は相当真面目なんだと思う、それが賞への評価へつながったと思うが、エンタメ性としては乏しいため大衆にはあまり受けなさそう。







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