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「サーフ ブンガク カマクラ」続編に寄せて

アジカン・ゴッチが昨日のnoteで"「サーフ ブンガク カマクラ」の続編がそろそろ出来上がる、LPも同時発売"とお知らせをしていた。嬉しい。また、朝起きたら湘南あたりを大学生が走っていたのでこのアルバムに対する雑感を書いていこうと思う。私はこのアルバムが発売されてから6、7年程経って初めて聴いたので発売当時の衝撃といったものは無いのだけど、その分少しフラットに見れるのかなと思う。

「サーフ ブンガク カマクラ」は江ノ電の駅が題された数曲のカップリング、そして同様のコンセプトで新録した新曲を収録して作られた全10曲。2008年発売の作品で、「ワールド ワールド ワールド」(名盤!)、「未だ見ぬ明日に」(名作EP!)と同じ年に発売されたことになる。「ワールド ワールド ワールド」は非常にコンセプチュアルで作り込まれた作品、「未だ見ぬ明日に」も6曲収録ながら映画の主題歌「ムスタング」を収録しているなど密度の濃い作品であり、その反発か「サーフ ブンガク カマクラ」はその「濃さ」とは打って変わった非常にラフで軽やかな作風。実際に練習はほとんど無し、一発撮りで録られているという。そして肩の力が抜けて作られた「ラフ」な作品だからこそ、アジカン及びゴッチのルーツやアジカンの素の部分が前面に出ていて非常に魅力的なアルバムに仕上がりまくっている。

アルバムレビューに入る前にこの作品までのアジカンを少し振り返る。「君繋ファイブエム」「ソルファ」では「君と僕」の世界をエモーショナルな叫び声と共に書き上げた。曲についてはオクターブ奏法やパワーコードを多用しており個々のフレーズはそう複雑なものではないが、そのフレーズ同士の組み合わせ・曲の構成・テクニカルな部分もあるドラミングにより一筋縄ではいかない音楽性で"疾走感"と”錯行感”を両立していた。フェスなどでぶち上げながらも若者の複雑な心境を表現しきる…人気が出るのも当然であろう。

「ファンクラブ」ではその錯行した様相が深化し、エモーショナルな叫びは世を憂う呻きに変わった。エイトビート主体だったドラムは3拍子等を取り入れるなど複雑化。「ワールド ワールド ワールド」では「君と僕」を通して世界を描くという歌詞から、「ファンクラブ」で片鱗を見せた実際社会・現代に比喩的ながら比較的直接言及するような歌詞世界へも踏み込んだ。

インタビューなどを読むと当時はメンバー間の関係も良好とは言い切れず、バンド内・楽曲もいくらかシリアスな雰囲気を帯びていた。そんな状況における一種のリハビリとして作られたのが「サーフ ブンガク カマクラ」であろう。作り込まないことでバンドの肉体性、演奏自体の快楽を取り戻そうとしたのである。

アルバム全体の雰囲気はザ・パワーポップである。「サーフ ブンガク カマクラ」というタイトルがweezerの「Surf Wax America」を捩っているのは明白であるし、このアルバムにおけるシンプルな演奏と泣きメロによって生まれる爽やかさと切なさはパワーポップのそれである。そもそもアジカン後藤はoasisの1st、BECKの1st、そしてパワーポップの代表的なバンドであるTeenage Funclubの「バンドワゴネスク」によって音楽に目覚めた訳で、ルーツ回帰的な側面は間違いなく存在する。

そして何よりもルーツ回帰的な側面として、彼らが青春時代を過ごした神奈川・鎌倉・江ノ島周辺が舞台であることを挙げることが出来る(まあ横浜が地元なのだろうが…)。とにかくバンドを始めた頃の雰囲気へひとまず立ち返ろうというアルバムであることは確かだ。

それでは曲について少しずつ。

1「藤沢ルーザー」
ベスト盤にも収録された1曲。端的にこのアルバムの良さが出ている。バッキングギターとリードギターが潔く右/左にミックスされていることによる臨場感とライブ感。「社会人ライナー 3番線のホームから今 手を振るよ」という歌詞はスーツを着ながらバンドを続けていた彼らへの餞だろうか。

2「鵠沼サーフ」
「嗚呼リアルに何もない」という嘆きは「転がる岩、君に朝が降る」における「そんな僕に術はないよな 嗚呼…」に文字上では近いが、この曲においては幾らか呆気らかんとしている。言葉遊びを交えながらビーチの情景を歌う歌詞も含めアルバム、アジカン随一のサマーチューン。キメの連続で成るアジアーっぽいメロディーの間奏は後に「それでは、また明日」などでも用いられ、海外で受容される理由の1つとも取れそう。

3 「江ノ島エスカー」
喜多氏のコーラスワークがポップさを演出する3曲目。パワーコードのミュートを8分で刻みながらメロディーを歌うイントロが非常にパワーポップっぽい。「ますか」「いつか」「エスカー」と軽妙に韻を踏んでいくのがかなり気持ち良いが、「何も歌っていない」曲が連続するこの構成はこのアルバムの底抜けた陽の雰囲気を象徴している。最後に半音下がって転調することでちょっぴり切なさを演出するのが好き…

4「腰越クライベイビー」
勢いの良い冒頭3曲を経て一息つくようなミディアムナンバー。ドラムの少し溜めたテンポ感とベースのフレーズの絡みがJellyfishの名曲「New Mistake」を彷彿とさせる。Jellyfish「こぼれたミルクで泣かないで」は泣きメロの応酬で聞くたびに泣きそうになる素晴らしいアルバムなのだけど、Jellyfishもゴッチが教えてくれたバンドである。彼のおすすめしてくれた音楽は私の趣味嗜好の形成に大きすぎる影響を与えたことは間違いない。

5「七里ヶ浜スカイウォーク」
アジカンの歌詞はメロディーが先にありその後に言葉を乗っける所謂「メロ先」と云われているが、この曲は「メロ先」の面白さが強調されている。「魚の群れ レーダーに 見ろ その影はエイだね」等、正直何を言っているのか分からない内容だがメロディーに乗ることでどこかシュールで味わい深いものとなっている。Aメロ→Bメロ→サビを繰り返さずに徐々に盛り上がり潔く終わる心地よさが光る佳曲。

6「稲村ヶ崎ジェーン」
桑田佳祐の監督作品をオマージュしたタイトルだったり、歌詞の中にビートルズのメンバーが登場したりなど遊び心溢れる1曲。メインリフ、ギターソロは喜多氏がめちゃくちゃ楽しそうに弾いてるのが目に浮かぶよう。

7「極楽寺ハートブレイク」
ここまでは海や海岸を歌詞としていたがこの曲では少し内陸沿いとなっているようだ。アジカンにおいて「恋」(愛ではなく)やそれに付随する甘酸っぱさを歌詞にした曲は限られていて、梅雨や紫陽花の花を例えながら「サヨナラは来るのです」と半ば投げやりに歌う様は珍しいっちゃ珍しい。

8「長谷サンズ」
アジカン流パワーポップの1つの完成形。イントロ→ブリッジ→コーラス→メインリフを繰り返すという非常に洋楽的な構成を3分少々に詰め込み超ポップに纏め上げる。「嗚呼…」という十八番の叫びや「馳せ参ず」という言葉遊びなど、3分に満たないながらも充実感溢れる大名曲。乃木坂46の井上小百合さんがこの曲を好きと言っていました。

9「由比ヶ浜カイト」
フィードバック音から始まる本編を締めるかのようなミドルテンポの1曲。海沿いで少しビールを流し込み空と海を眺めるような光景を歌い、退屈も充実も感じないような日々を絶妙なトーンの「嗚呼…」で表す。賛否を分けるであろうは1:45頃から始まるショボい版「Paranoid Android」的展開だ。遊び心と捉えればそう変ではないが…私は好きです。

10「鎌倉グットバイ」
アジカンのアルバムを締める曲は「海岸通り(2016版)」「タイトロープ」「アネモネの咲く春に」「ボーイズ&ガールズ」といった私小説的かつスケールを感じさせるような物が多いのだけど、この曲もその系譜にあるといえるだろう。add9やsus4を多用したコード進行(よくゴッチが言う"コードの形は固定で指一本だけ動かす"ってやつ)、ペンタトニックスケールを用いたギターソロなどはoasisを感じさせ、ルーツ回帰的な側面をやはり感じさせる。江ノ島旅行の終わりを感じされる「夜が来たよ さよなら旅の人」でこのコンセプトアルバムが終わるというのは完璧と言えるのではないだろうか。

どうでしょうか。ダラダラと書いてしまったけど、煮詰まった脳ミソをリセットするために作られたルーツ回帰的なアルバムであり、海沿いで乾いた風を浴びるようなカラッとした作風はアジカンのディスコグラフィーにおいても随一の輝きを誇っているというのが私の結論です。

そして「サーフ ブンガク カマクラ2」において石上、柳小路、湘南海岸公園、鎌倉高校前、和田塚の残りの駅がどんな曲名になるのか、そして今のアジカンが鳴らす底抜けの明るさを持つパワーポップがどんな感じなのか今から楽しみですね。


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