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「くるりのえいが」と「感覚は道標」

くるりの新作「感覚は道標」を聴いて、いや、「ばらの花」をオマージュした「朝顔」を聴いて、少し複雑な気持ちを抱いた。常に新しい要素を取り込み、武器を変え、それこそ転がる岩を体現するようなバンドであるくるりが最初の3人で集まって「ばらの花」オマージュをやる。そこに少しだけ閉じたものを覚えてしまった。勿論、アルバムに流れる開放的な雰囲気はこのアルバムを好きになるのに十分な理由ではあったけれど。

そんな思いを抱きながら観た「くるりのえいが」ですが、最初に映った伊豆の景色から否応にも目が惹きつけられる。暖かく降る日差しと透き通り切らない海や空は日常を少し非日常に近づけてくれるバンドであり、退屈な毎日に少し魔法をかけて意味あるものにしてくれるバンドであるくるりをまさに体現しているようだった。その景色を背に歩く3人の凸凹な後ろ姿をみてなんだかこれで十分だな、と思ってしまったのは私だけじゃないだろう。

続く演奏シーン。おもむろに弾いたギターのリフの繰り返しに他のメンバーが骨格を与え、お互いがなんとなく空気を察して次に展開へ移行し、コード進行が固まり、気づいたら数分が経っている。気持ちのいいところで演奏が終了し、顔を見合わせ、大っぴらに「めっちゃ良かったね」と言い合うのは少し恥ずかしいから「ええんちゃう?」と少し濁す。バンドだ。私も最近バンドを組んで近いことに身を投じている。凄いのはちゃんとドタバタしていることだ。一挙手一投足互いに理解し合っているのではなく、歪つに一つの完成形へ向かってそれぞれが動いている。このぎこちなさが予定調和を壊し、くるりらしいちょっと変な音楽へ舵を向けていく。

途中、ライブハウス/京都拾得での演奏が挟まれる。「尼崎の魚」「california coconuts」「東京」と時代や制作場所が違う3曲。不思議とどの曲もフレッシュに聞こえるし、クラシックとして長い間演奏されたようにも聞こえる。「変わっていくこと」を選択したバンドの中にあるプリミティブな部分に触れる。その地点に行くための十何年だったんだと分かる。少しテンポが走っている「東京」の愛おしさ。まだ早る気持ちで「東京」に向き合える。この感覚を改めて取り戻すことがオリジナルメンバーで集まる意味だったんだろう。

映画は主題歌でもある「in your life」のレコーディング風景へ。時折口に出る「スマパン」といった懐かしのバンド、スタッフに「これってどんな風景だろう?」と問いかける岸田。京都の大学で教授なんかしている岸田繁からは想像はつかないフィーリングやニュアンスの世界。その世界を具現化する佐藤。演奏をしていない瞬間にこそ"ああ彼らはバンドなのか"と再認識させられる。そして歌入れをする岸田の目の力の入り方。マイクの奥の壁をガッと睨むように歌う。映画のはじめに「東京」を作った頃のフラストレーションについて話していたけど、その時の感覚は全く無くなっていなんじゃないかと思わせられる獰猛な目だった。音源も波形を眺めながらゴールへ導くのではなく、あくまで耳を頼りにひたすら聴き込む。喧嘩や衝突とはまた違うヘルシーな生々しさ。

「感覚は道標」。最後にタイトルが決まる。「感覚が全て」じゃないことに安心を覚えた。試行錯誤の中で得た経験値を頼りに「ガッ」と来た瞬間をレコードにしていく。確かな25年間の歩みがある。ただ懐古の念に浸るためのオリジナルメンバーの再結集ではなく、くるりの試行錯誤歩みの一つだと思うと晴れやかな気持ちでアルバムを聴けそうだ。

そして少し変な感想ではあるのだけど、佐藤&岸田と森の間にしっかりと距離があるのが心地よかった。岸田と佐藤は互いのジャッジの基準をとことん信頼していて、森がそこに対して少し遠慮がちにリズムやフレーズをのせる。そのぎこちなさにくるりというバンドの歴史の重みが凝縮されていた。すごいぞ、くるり。

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