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映画「Barbie」感想

正しく''完璧''な映画なのだと思う。テーマ性もテーマを作劇に乗っけるスマートさも作劇とビジュアルの両立も、非の打ち所が無い。バービー人形を通して人間の醜さ/人間社会の歪さ/男女の格差をデフォルメして少しの皮肉を交えながらもストレートに描きつつ、アイデンティティの確立という普遍的なテーマに持ってく手腕が鮮やかだ。

自分へのタグや自分がどうカテゴライズされるかにアイデンティティを見出だすのではなく、どう生きるかこそがアイデンティティとして自分にくっついてくる。君たちはどう生きるか。エンドクレジットで「バービー」「ケン」という名前が羅列している様もこのテーマに沿っている。名前じゃなくてそいつらがどう生きるかが重要だから、と。気が利いている。そして、いろんな指摘や突っ込みにも先に答えを出しておく用意周到さ(マーゴット・ロビーの名前を出すの、ズルい)。全編を通して監督、プロデューサー陣の手腕がやはりピカピカに光っている。

Lizzoから始まりDua Lipaを経由してビリー・アイリッシュで終わるサウンドトラック。映画の中でのストレートではない使い方も含めて非の打ち所が無い。最初のLizzoの「Pink」のミュージカルシーケンスは今年見た映画でも抜群に大画面で映えていた。複雑な世界への投げ掛けを多くの人に届く形へ還元し、濾過し、頒布する。正しくポップである。

そして、こういう他人事で上から目線で分かったように語るヤツらもこの映画の手にかかれば意地でも自分事になるよう仕留められてしまう。中盤、男性の上から目線のマウンティングを揶揄するシーンで「ルー・リードのメロディーをポストパンクと共鳴する形で表したマルクマス…」みたいな台詞がある。多くの人にとってはなんのこっちゃって話だろうが、これはペイブメントというアメリカのインディーロックバンドのことである。好きな音楽について物知顔で聴いてもいないのに上から目線で解説するやつ、そしてそのことでしかアイデンティティを保てないヤツ。俺か?この映画を見てどこか居心地の悪さを覚える観客も多くいるはずだ。でも最終的に襟が正された。改めて個人の生き方と他人の生き方のバランスを見定める必要があると思わされた。これは大衆文化のあるべき形だろう。ただの娯楽・快楽で終わらせないことはグレタ監督の作品に通じる要素でもある。

という形で減点法でも加点方でも満点みたいな映画な訳だが、完璧過ぎて自分がこの映画を溺愛する必要性は無い気もする。でもあなたがこの映画を見てこの映画についてお話する機会は欲しいと思っています。

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