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森昌子の歌謡『越冬つばめ』の名辞以前

 中原中也の『山羊の歌』に「サーカス」という詩がある。サーカスは私が最も好きな詩だ。多くの人は共感してくれることだろう。どうしてって、声に出して詠んでごらんよ。かなしい?たのしい?詩の意味は分からないのに心に居残るもやもやとしたワダカマリにそっと寄り添ってくれるような、そんな感じがする。ちょっぴり切ないけれどとても気持ちがよくなって、心強くなる。円らで綺麗な目をした僕の中原中也がずっと僕を見守ってくれているんじゃないかって思う。

 サーカスの一番好きな箇所は次の箇所だ。たぶん、みんなも一緒。

屋外は真ツ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

中原中也『山羊の歌』収録「サーカス」より

ブランコが揺れる様子を擬音語「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と表現した中原中也の言葉に対する天才的な感覚。言葉を発していて気持ちがいい様を僕の友達が「口が気持ちいい」と表現していたが、この箇所は特に口が気持ちいい。好き。ただただこれ好き。ああ、実にただこれ好き也。

 この擬音部分からは中原中也が目指した言葉のかたちである「名辞以前」が窺える。名辞以前とは「ある概念」に言葉をつける以前の「ある概念」という意味だ。「山羊」を見て「山羊」というのではない。「山羊」を見たときに「山羊」そのものを言葉でスケッチする、といったら分かり易いだろうか。我々はブランコが動く様を「ぶらんぶらん」と言うが、この「ぶらんぶらん」は記号のようで味気がない。中原中也は言葉を記号として扱うことをよしとしなかった。「ぶらんぶらん」を中原中也は「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」とスケッチしたのだった。天才である。

 僕は森昌子の名歌謡『越冬つばめ』にも、この名辞以前が表れていると思うのだ。

 森昌子は女優業でも活躍する日本の演歌歌手で、『越冬つばめ』(作詞・石原信一 作曲・篠原義彦)はその代表曲である。つぎの恋愛にうつることが出来ず報われることのない恋だと知りながら、冷やかな男に抱かれずるずると引きずる女を吹雪のなかを飛ぶつばめに喩えた見事な歌だ。

 この歌謡曲のサビでは、つばめが飛ぶ様子を印象的な擬音語で表現している。

ヒュルリ ヒュルリララ
ついておいでと 啼いてます
ヒュルリ ヒュルリララ
ききわけのない 女です

森昌子 越冬つばめ 作詞・石原信一 作曲・篠原義彦

 この「ヒュルリ ヒュルリララ」はまさに名辞以前だ。寒さと飛ぶ鳥、いや鳴き声ともとれるスリーウェイの擬音語だ。森昌子のサビ歌唱によって一気につばめにフォーカスさせられるダイナミズムだ。

 演歌は昔の音楽ではない。鄙びたる音楽ではない。いい演歌があれば、また綴ろうと思います。

おわり


 

 

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