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「天使のたまご」解釈2回目

またあれからチラチラと他の方の考察を見たりして、だいぶ腑に落ちてきたので記録。
最終的に私の中では愛の物語に落ち着きました。

解釈1回目よりもしっかり読める文章になりました。視聴していないと何言ってるのか全然わからないとは思いますが、がっつりネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

この解釈に至る前のメモ、「天使のたまご」解釈1回目の記事もよかったらどうぞ。


今回の記事、とても長いです。
お時間の余裕のある時にのんびり読んでください。



「生まれる前の物語」という解釈


押井監督自身のインタビューやフロイト心理学を引用している方の考察や感想を見ていると、作中に性的な暗喩が散りばめられているのはどうも確かにそう見える。
というところから考えを巡らせて、以下の解釈に至った。

少女=卵子」「少年=精子」「この世界=子宮(生まれる前の少女の精神世界)」

つまり 「生まれる前の子宮の中で、精子と卵子が出会って外の世界の虚しさを語り合って、それでも希望を求めて外の世界に生まれ落ちる話」 なのではないかと。

少女が抱えているものはそのものズバリ卵だけど、そういう目で見ると少年の髪型(すこし長い白髪を後ろで束ねている)も精子に見える……気がするし……!
結構説得力ある説では?!

「卵子と精子が出会う前」、つまり「まだ誕生していない、まだ何者でもないもの」に対して少女と少年が「あなたはだあれ?」「きみはだれだい?」と互いに尋ねていたとしたら腑に落ちる感じがする……。

「君は何者になりたい?」……もっと言えば「君はどうしたい?」という問いかけのよう。




「ノアの方舟」と「生まれる前の世界」


「ノアの方舟」と「まだ生まれていない2人(特に少女の方にフォーカスしている)」の二本柱だとそういう観点で物語を見ていくと、
「神によって引き起こされた洪水のあと、水に沈んだ世界に希望を見出すことができず、そんな世界に生きることを拒んで自分の内側に籠ってしまった少女が、少年によって半ば強引に外に連れ出され目を開かされて、現実世界と対峙する話」に見えてくる。




キャラや事象に関する細かな解釈


以下、そういう話だと思って物語を読み進めるための、それぞれのキャラクターや事象に対する解釈。要はフレーミングです。ご愛嬌。


・少女

どこにも辿りつかない方舟の主人。洪水の後の世界、外の現実世界に希望が見出せず、自分の内側に閉じこもってしまっている。
それでもいつか何らかの希望が自分を導いて救ってくれることを期待して、そしてそれはこの中にあるのと孵らないたまごを温め続け、言い訳し続けている。


・少年

希望に溢れてはいないけど、絶望し切ってもいない。現実世界に未練たらたらな、少女の片割れ。「鳥なんか始めからいなかったんじゃないか」あたりに希望に対する猜疑心が見える。
少女を外(現実世界)に連れ出すことが使命。「忘れてしまった」と言ってるけど、多分最初からそれ以外が無い。
作中の仕草や言葉から、一貫して少女に対して誠実さや慈愛のようなものを向けているように感じる。


・この世界

世界はもはや神に見捨てられた、世界に救いなどないと嘆く少女の、拠り所となっている精神世界。


・少年の銃

十字架モチーフなのはキリストが背負っていた原罪を表してる気がする。つまりは生きることの苦しみなんじゃないかと。
現実世界の辛さ。現実世界の現実たる部分。少年は文字通り現実を突きつけることで少女のたまご=現実に生きない言い訳を壊した。つらい。


・少女と少年の対比

「幼く弱々しく、飲み食いし、眠る」少女に対して、「武器を持ち自立して、飲まず食わず、眠らない」少年のあからさまな対比が気になっていたんだけど、 「飲み食い」や「眠り」が「この世界(少女の精神世界)に依存している状況」だと考えると、外からやってきた少年が少女と対になっているのは納得できるかも。


・暗くて美しい街並み

少女が作り出した美しい街並み、としての自分の殻。現実世界を見ないためのもの。
ステンドグラスや屋根の彫刻など、魚をモチーフにしたものが多い。ので神の救いを求めて作ったものなのかもしれない。(魚と神の関係性については後述)
ガラスに映った自分に向かって少女が楽しそうに話しかけているシーンは、少女が自分の内面に閉じ籠もっているように見えた。多分作中一いい笑顔してる。


・水と石

少女が水を瓶に入れて集めている理由が思い当たらなくて……。キリスト教に準えて考えるなら「水=葡萄酒=キリストの血」「石=パン=キリストの肉」なんだろうけど……。
そういえば街は石造りで、川も流れていて水が豊富……キリストの血肉で造られた街=神に祝福された街なのかもしれない。

水=キリストの血を、少女は方舟の中に運んでいた……。血を通わせたかった……?方舟に神の祝福を宿らせたかった……のかな。 水の入った瓶を一列に並べているのは、水を血と捉えると血管を表してるようにも感じる。
唯一、葡萄酒っぽい赤い水だけは少女が捨ててしまってるのが気になる……。


・戦車

個人的には昆虫みたいなデザインだと思ったんだけど、男性器の暗喩らしい。それに乗って少年がやってきたので「少年=精子」説が私の中でより盛り上がってる……。


・古代魚の影

魚はキリストのシンボル。(古代ギリシャ語でキリストを表す言葉の頭文字を合わせると、古代ギリシャ語の「魚」と同じ文字になるらしい)
その魚がもういない=救世主はいない。しかも古代魚の姿だし時代遅れのものでもある。 つまり外の世界に救いはない。と少女は思っている。
そして多分、外の世界にはない救いが、自分が抱いているたまごには宿っていると思っている。


・銛を持った男たち

魚=救世主を殺した者たち。今なお殺そうとし続けている野蛮な罰当たりたち。多分、神が洪水を起こした=外の世界の希望を摘むことになった元凶。
少女が外の世界に感じている絶望の象徴な気がする。



・天使の化石

「ノアの方舟伝説」では、洪水が終わったことを証明する陸地の存在を知るために鳥を放ったらしい。そしてその3羽目が、陸地を見つけた証左にオリーブの枝を持って帰ってきたらしい。

この天使の化石はたぶん、少女が放つことを諦めて飼い殺しにしてしまった3羽目の鳥。1羽目、2羽目が帰ってこなかったのでどうせダメだと諦めて3羽目を放たなかったのでは。 飛び立つこともなかったので陸地の証左になる枝を、つまりは希望を持ち帰ることはなく、少女も外の世界にはやはり希望なんか無いんだと納得してしまった。

(少年が語った「忘れられた鳥」というのは希望を持ち帰れなかった1羽目、2羽目の鳥のことかなと思う。ついでにこの3羽目も飛び立てず、そのまま長いこと忘れ去られて、忘れた頃に再び発見した少女に、都合のいい言い訳にされてしまったのでは)

少女の絶望のたどり着いた先。甘い毒。

今も希望を求めて飛んでいると思っていた3羽目の鳥は、飛び立つこともなく方舟の中で大昔に死んでいた……。

少年は多分ここでめちゃめちゃショックを受けてるんだけど(顔にありありと「そんなまさか」って書いてある表情をする)、それは「方舟の中で死んでいた」からだと思う。「少女が、鳥を放つ希望を放棄した」ということだから。
そうして希望を放棄したまま少女がここにいるなら、いずれ彼女も同じように化石になってしまうだろう。無意識かもしれないが、少女ももはや「それでいい」と思っている節もある。

この天使の化石は、少女の未来。
少女が迎える結末の可能性の一つなんじゃないか。

少女は、「たまごの中に(この化石の)天使がいるの。私が温めて孵すの」と言う。 「知っていたよ。きっとそうだと、思っていたよ」少年はそう答える。
裏を返せば「そうでなければいいのにと思っていた」ように聞こえる台詞。少女の抱える絶望が、最悪のケース級に大きかったことに打ちのめされてるみたいだ。
少年がノアの方舟から放たれた鳥のことを語ったとき、「君も僕も」となんとなく少女と自分を同じ境遇だとして語ってたように思うんだけど、つまり「少女と少年は同じくらいの絶望度である」と仮定して喋ってたと思うんだけど。
このシーンで自分よりも遥かに少女が絶望していると知ってショックだったのかなとも思う。

たまごの中身が天使の化石ならば、天使の化石が少女の未来ならば。
たまごが孵るとき、少女は化石になってしまうんじゃないか。

だからその前に、少年はたまごを割らなければならなかったんじゃないか。

少女を侵しているものの正体を知って、もう自分がたまごを割るしかないと、少年は苦しみながら悟ったんじゃないかな。


・鳥

……誰からも忘れ去られたはずの鳥の話を、少年だけは覚えているの気になる。鳥=少年なんじゃないかなとも思うんだよね……。わからん。

「望まなければ裏切られることもない」、「手に入れなければ失うこともない」…… そういう状態に停滞してしがみついて安心していたい感じを少女から受ける。

「鳥を放たなければ、鳥が帰ってこないということもない」、「たまごが孵らなければ、ずっと中身に期待して温めていられる」……

ここでふと、作中出てくる卵の中の鳥を思い出した。

あの鳥は多分、飛ぶことが怖いんじゃないかな。飛んでみて、自分が不出来で落ちてしまうことが怖いんじゃないかな。 「飛ばなければ落ちることもない」。だから飛ばないことの言い訳に卵の中で眠り続けているんじゃないかな。
……そうすると、この作品は大部分がこの生まれる前の鳥が見ている夢で、この鳥は夢の中では少女なんじゃないかな。

舞台がノアの方舟で、少女が鳥で、少年も鳥だとすると。
少女が飛ぶことを怖がって方舟に閉じ籠もっている鳥で、少年は飛び立ったけど目的を果たせず落ちてしまった鳥だとすると。

「自分は無理だったけど君ならできるよ!大丈夫だよ頑張れよ!」って先達が応援しにきてくれる話にも見えてきた……余計にあったけえ……。

冷たく見えてめっちゃハートフルやん「天使のたまご」……(個人的感想極まる)



・たまごの中身

「天使の化石」についての解釈が思った以上に盛り上がってしまって、たまごの中身についても勢い余ってぶち当たってしまった。
改めてこちらに私の解釈をまとめると、「少女曰くたまごの中身は天使」、「天使はもう化石になっている」、「天使の化石とは飛べなかった3羽目の鳥」、「3羽目の鳥とは放棄された希望」……、「放棄された希望とは絶望」。

つまり少女は「絶望」を温めていたんじゃないかと

もちろん少女は絶望だとは思っていない。それにもまた殻を被せて、「これはまだ見ぬ希望だ」と自ら思い込んで、大事にしてしまっていたんじゃないかな。

「あれ(天使)はもう石になっているけど、この中にいるの」 この台詞が非常に引っかかってしまって。 だって「天使の化石がそのままたまごの中に入っている」って聞こえるんだもん……!
「この天使は石になって死んでるけど、同じ天使が生きた状態でたまごから生まれてくる」という意味にはなんとなく聞こえなくて……言葉では表せないけれど……!

だとすると、少女は自分が温めている物の正体に薄々勘付いていたんじゃないかとも思う……。


・目玉みたいな黒い球体

他の方の考察のアイデアを引用させてもらうと、「機械仕掛けの太陽、つまり神なき世界の人工の神」らしい。
私はこの球体こそ方舟なんじゃないかなと思っていたけど、色々混ぜ混ぜして「現実の外の世界」なんじゃないかという解釈に至った。

この球体は水面から登ってくると蒸気機関のようなけたたましい音を上げる。太陽だとすると「朝ですよー!」という渾身の叫び。可愛いじゃん。
実際、少女はこの音で目覚める。けど少女が目覚めた世界は暗いまま。少女は現実世界の呼び声を無視して、自分の内側の世界に籠り続けている、と言えると思う。

現実世界では神の威光も陰り、人を教え導く絶対的な救いは無くなってしまったけど、それでもたくさんの祈りの石像を擁している=神なき世界でも人々は希望を見出して生きている、という「現実世界にも救いはある」というメッセージなんじゃないか。
作品冒頭でそれを眺めていた少年は、少女に現実世界の虚しさと一緒に、希望も持ってきてくれたんじゃないか。

少女が地面の裂け目に落ちて、そのあと黒い球体の石像群の一部になった時、海から昇ってきた黒い球体からは海水が滴り落ちていて、まるで泣いているようだった。涙ってしょっぱいし。
少女が現実の世界に生まれ落ちたことへの祝福か、哀れみか。
もしかしたら少女自身が生まれて最初に泣いた様子、産声を表しているのかも。

作品の最後で地表を見下ろしてズームアウトしていく視点は、多分この黒い球体からのもの。他の方の解釈を借りると「この世界はノアの方舟が転覆した、その船底の上にある」らしい。
黒い球体は、転覆してもはやどこにも行けない方舟から脱出する手段だったのかも。

その旅立ちを少年は何とも言えない表情で見送る。
現実世界は希望もあるだろうけど美しいばかりじゃない。少女はこれから辛い目にも遭うだろう。生まれないまま、飛び立てないまま滅びていくよりは……と送り出したけど、あの子ったら大丈夫かな……そんな感じなんじゃないか。
ここはフィルター強め。少年から少女には一貫して愛情が向けられていたと思っている勢なので。



少女と少年ってもしかして……


む……この愛情の向け方……。
外の世界を拒絶して虚構の希望のたまごに逃げていた少女に、静かに寄り添い、でも最終的に強硬手段に出て荒療治で殻を破らせるこの感じ……。

もしかして、少女のパパ…………?(フィルター強め)


…………いやこれ、もしかして夫婦の話……?
「こんな世界イヤよこんな世界に子供産みたくないわ」ってゴネるママと、「世界も悪いばかりじゃないよ大丈夫だよ」って宥めるパパの話………………?
…………すてきじゃなァい。

たまごが割れたあと、 裂け目に落ちた少女は大人の女性になって静かな表情で泡としてたまごを産むし、 少女の石像が現実世界の黒い球体に乗って旅立つのを少年はじっと見送るし。

………………子供を産む覚悟を決めたパパママ……なのでは……?

石像になった少女が割れたはずのたまごを抱えているのは。 ママが、自分の子供であるたまごを抱いて、現実世界に向き合う覚悟を決めたってことでは……?



つまり「愛の物語」じゃん!


ここまでくるともう「天使のたまご」が自分のものになった気がする……。
私にかかれば陰鬱で難解なこの作品も、希望が絶望に寄り添う愛の話になってしまった。やったぜ。愛は勝つ。

……でも監督のインタビューによれば少年は球体を見送った数日後に1人寂しく死んでしまうらしい。なんでそんなことするん……。
……夫婦の話だとしたら、パパがもう長くないとわかっていてママは絶望してたんじゃないか。 ……フィルターが分厚くなり続けているなぁ……。




さてここからしばらく、作品のモチーフやテーマはポポイと放っておいて、私が少女と少年に感じたてぇてぇポイントをただ語っていくパートです。
何を隠そう、初見視聴中にこぼした言葉の第2位は「かわいい」だったくらいに、この作品には可愛くててぇてぇポイントが沢山あるんだ……。(1位はもちろん「なにこれ?」)


少女と少年のやりとりについて


少女と少年が言葉を交わしているとこは何度も見たいくらい好き。なんだかやりとりが可愛らしくて。
少女の「どこかへ行ってしまうの?」は「一緒にいてほしい」と同義だし。少年の「僕もどこから来たのか忘れてしまったよ」と……「僕も」と少女に歩み寄るような言葉選びをしているようで。
「鳥なんか最初から居なかったのかもしれない」と虚しくなっちゃう少年に、少女が慰めたい一心で言ったであろう「ここにいるよ」も堪らなく好き。
お互いに思いやってる感じのやり取りがね、キュ〜っとくる。幸せになってほしい。

セリフのやり取りがなくても、少女が少年を振り返ったり、水を差し出したり、悲しそうにしてたら手を引いてとっておきを見せに行ったり、たまごを割られたのに必死に追いかけたり、
少年が少女を匿ったり、歩く速度や階段を登る歩調を揃えたり、そおっとベッドに横たえたり、シャツを掴んだ手を解いてちょっとだけ握り返したり、眠っているそばにじっと寄り添っていたり……

想いが通じてるみたいな、相手への愛情や思いやりを感じるシーンが大好きだし、すごく多いと思う。




二者間に愛はあったのだという主張リターンズ


他の方の感想や考察ではなかなか出会えてないんだけど、作中のいろんなところで少年から少女への愛情、大事にしようとしてるとこをビシバシ感じるんだ。

たとえば少女をマントに匿うシーンがね。大好き。あったかくて。
何が起こってるのかよくわかってないのに、少女の怯えをすぐ理解して、何も言わずにマントの中に入れてくれるところとか。ちょっとツンケンしてた手前、都合よく甘えて盾にしてしまったことを気まずく思ったっぽい少女に、「いいよ」と言うように肩を抱いてくれるところとか。すき。

それより前の「雨避けにしなよ」ってマントで覆いを作ってくれようとするところもかわいくて好き。無視されちゃうけど。それも含めてかわいい。

最初に近づくのは少女の方。でも去っていくのは少年の方。少女は去っていく少年を必死になって追いかける……。
一方的な少年の愛、じゃなくて、少女からのベクトルもなんとなく見えるのが好き。世界観が違えば、少女ももっと少年に応えられたし、積極的に甘えたりできたんじゃないのかな、なんて。
幸せになってほしいんだもん。


ところで。ここでまたひとつ心に引っ掛かることができた。
少年が少女に対して誠実で、愛情を向けていたとして、じゃあなぜ意図的に少女の問いに答えないシーンがたびたびあるのが気になる。「ええ〜無視かよ!」って思ったもん。

・少年は何も答えない

「たまごに何もしないって約束して」とか「どこかへ行ってしまうの?」とかは、多分正直に答えると少女を悲しませることになる問いだったんだと思う。 少女を悲しませまいとしても、その場凌ぎの嘘は不誠実だしきっとボロが出るし、ならばせめてと沈黙することしか出来なかったんじゃないかな。

最終的にたまごを割っちゃうのも、その方が少女のためになると信じての行為だったと思うし、でもそれは少女にとってかなりの衝撃になるのがわかっていたから、悲しむ顔を見たくなくて、少女が眠っているうちに黙って出ていったような気がする。

少年が何も答えないシーンといえば、「鳥はどんな夢を見るの?」と聞かれるシーンもあったなぁ。
「正直に答えれば少女が悲しむ」と思って口を閉ざしたのなら、少年の考える答えはなんだったんだろう。

これまでの自分の考察をもとに考えてみると、少女は眠っている鳥の夢の中の姿。つまりまさにこの世界、この光景を鳥は夢として見ていることになる。
現実を無視して、自分の内側の現実を作り上げてそこで生きている少女に、「この世界は夢なんだ」と告げることは、少女に現実を突き付けて悲しませることになるのかもしれない。




【さいごに】いろいろと思考をこねくり回してみて。


私はこの考察をこねくり回している間、宗教的なモチーフはほぼスルーして少女と少年の間に想像される感情を軸に物語を見た。

ある方は、「少女=卵子」「少年=精子」というところまでは同じながら、「ノアの方舟=命の選別=生まれてくる子は特別」だという見方をされていた。

またある方は、登場人物を聖書に準えて解釈して、生まれない救世主を望む、救いのない神話の終わりが表現されているんだろうという見方をされていた。

またある方は、宗教的なモチーフに振り回されすぎている、視聴者が期待するような壮大な内容なんかないという見方をされていた。

……なんだか、「人は見たい物、見える物しか見えないものだ」と改めて思い知らされたようだった。
私は「少年が少女に愛情を向けている」と思っている。つまり「少年には少女に愛情を向けていてほしい」という願望のもとにこの考察は成り立っている。 この一点が崩れると、私の物になったはずのこの「天使のたまご」は途端に成り立たなくなる。私がこの作品から感じた希望が、全て裏切られる。

……他の人の解釈に触れるというのはそういう危険を孕んでいることだなぁと。

ちょっと上手くまとまらないけど、この鑑賞後の思考をこねくり回しているこれも、たまごを温め続けている少女とリンクしてるような感じがして、書いておかねばと思った。


私はこの解釈に至るまでに、解説動画を一つ見たんだけど。動画自体は丁寧で、情報の出典元も提示されていて、とても参考になったんだけど。
コメント欄にその動画を絶賛・全面肯定するコメントばかりが付いていて、ちょっと複雑な気持ちになった。「理解したつもり」になってしまうような、危ういコメント群だなと思った。
一度自分で作品を見て、解釈に迷って他の方のアイデアを頼ったら、「そうかも……そうかな……」とぶつぶつ言いながらもう一度自分で作品を見るのがいいと思う。そうするともっと物語の深くに触れられるんじゃないかと思った。
他の方の解釈をなぞるんじゃなくて、自分の心に引っかかった物をより浮き彫りにするために。そうするべきなんじゃないかと思った。




ともかく、キャラクターや世界観はもちろん、作画、背景、レイアウト、音楽、その他演出全部に至るまで、携わった作り手側の愛を感じるからこんなに惹かれるんだと思う。
この作品全体に愛が込められている。そんな気がして好き。
とても静かな密やかな愛だから、またいずれじっくりと浸りたいです。


いやぁ、本当に長い記事になってしまいました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。



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