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人間は何と鳴く?



①LINEを開く
一通り返信する
このとき私は一件も通知を残さないタイプだ

②Instagramを開く
一通り投稿を見る
最初の数人のストーリーを見る
ここではどうやら仲のいい人が前に出てくるらしいから

③Twitterを開く
親指でスクロールしまくる
気になる記事は一瞬目を通し
またスクロール 

④Facebookを開く
使用しているSNSの中では一番友達が少ないので
なかなか更新されないが
社会人の方、外国の友達、イベント情報などが流れてくる

⑤またLINEを

10分前から変化なし

そしてInstagram
無意識に親指が上から下に画面を弾く

意識しなくても親指が小さな画面上を
毎回同じルートを辿る
①から④までのコースを一周10分
コースの途中に通知という名の障害物が入ってくることもある

まるでトライアスロンのようだ

あれ?

これってもしかして
SNS中毒?

決して時間を持て余しているわけではなく
やることは探せばあるのになぜこんなにSNSに時間を費やす?
この時間を他のことに当てたら、人生少し変わる?

とりあえずアンインストール

デジタルデトックスのきっかけ
他にも色々ある

SNS(ここで言うTwitterとInstagram)をしていない友達の生活は
人の生活を羨むことなく、とても充実しているように見えたから
「真似ぶは学ぶ」だから

なぜ世界中の誰もが自分の近況を報告したい気持ちになるのか
ただの自慢なのか?自己満足なのか?
彼らはその答えを持っているのか?
そうは見えない
誰も自分の行動の所以を理解しているようには見えない
一種の流行の「当たり前化」に疑問を感じたから

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例えば、ストーリーで流れてきたから思い出したように、
建前のように、一言ポンって送るんじゃなくて、
本気で連絡を取りたいと思った人に、会いたいと思った人に、
ちゃんと気持ちを伝えられる人間になりたかったから
そう言う人と繋がりたかったし
失くしたくない人にちゃんと向き合えてるかな?って
大事な人をもっともっと本気で大事にしたいと思った!
これは一番大きな理由

今インスタとかやってないんだよねー
大事にしたいものあるし
って言ったら周りにめちゃくちゃ驚かれたくらい
はたから見ても私はSNSに依存していたのだなあ

プチデトックスをして・・

・情報量が極端に減った
インスタのおすすめ機能は非常に便利なもので
友達と遊びに行くきっかけは
「ここのお店の〇〇が食べたい!」
から始まるものがほとんどだったんだなあと気づく

・他人の生活を見なくても自分の生活に何ら支障ないことを知った
今まで受動的に彼らの生活を垣間見ることで
安心感とか嫉妬心とか自尊心とか、そんな感情が湧いてくる
けど、そんなの別になくたって生きていけるし
むしろ感情に三つくらい枠ができて余裕ができたようにも思う
そして彼らが何をしているか実は全然興味ないってことを知った

・”内なる言葉”に向き合う時間が極端に増えた
私の家はどこに行くにも長旅で、
電車の中はいつも退屈でたまらない
今までだったらSNSコース周遊をしていたが
それを読書に置き換えてみた
本を読むといい意味で現実逃避ができて素直に
「いい時間の使い方だな」って納得できる

『言葉にできるは武器になる』って本がある
この本の中に私がかねてから疑問を感じていた、
「流行の当たり前化」の答えがちょこっとだけ見えたような気がした

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https://www.amazon.co.jp/「言葉にできる」は武器になる%E3%80%82-梅田-悟司/dp/4532320755

言葉には二種類ある
「外に向かう言葉」と「内なる言葉」である
近所に猫がいて写真を撮りたいと思った時には
「かわいい」「写真撮ろう」など色々な言葉を頭の中で言っている
これが「内なる言葉」
それを受け実際に自分が発信する言葉が「外に向かう言葉」

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「内なる言葉」の表れがSNSの発信、
つまり「外に向かう言葉」なのであり、
みんな「内なる言葉」を掻き出せないと、
瞬く間に生成されるそれを消化しないと、
自分の中の「内なる言葉」はなかったことになる
二日酔いの胃の中にあるグレーと黄色のもやもやみたいなのができる

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なぜ世界中の誰もが自分の近況を報告したい気持ちになるのか
本当は報告したいって気持ちよりも
「内なる言葉」を拾わないとって気持ちが先行してるんじゃないかって
実際この本の趣旨とは離れてるんだけど、
今のところの疑問解はこんなところ?

そして私はこの「内なる言葉」を希少な伝えたい人に伝える術を覚えた
今までと違う鳴き方をすることで、レベルが24くらい上がった


もー 人生ハテナがいっぱい

自分の「スキ」に素直になりたい、一回限りの人生を生き抜きたいのです。