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ふと私は「ノンバイナリー」ではないかと思ったこと

私は男でも女でもないと性自認することを「ノンバイナリー」というらしい。

宇多田ヒカルさんがそうだと発言したことがあるそうだ。

「ノンバイナリー」を知ったとき、昔の記憶がよみがえった。

私は6歳ぐらいの頃、
「まるで金太郎のようだね」
と知らないおじさんから言われたことがあった。
(やや顔が濃く、おかっぱ頭だった)

小学生のとき、たびたび転校をして3つの学校に通った。
一番長く通った2つめの小学校は女子校だったこともあって、3つめの小学校に転校するまで自分を女子だと思うことなく奔放に過ごしていた。
3つめ、共学の小学校に転入したとき、戸惑いだらけだった。

私の父は私のことを男性の名前で呼んでいた。
私の本名は「りこ」ではないけれど、仮に「りこ」という名前だとすると、「りすけ」のように、ずっと男子の名前で呼ばれていた。

中高生になってそこそこ女子っぽいことに興味をもつようになったけど、周りの女子ほど女子色が強くない私は、なんとなく居心地の悪い感じがあった。

「男になりたい」
「なんで自分は男じゃないんだろう」
と思ったことは数知れず。

それは仕事をしてからより際立った。

女性ということで変に遠慮されたり変に配慮されたりした。
外見が女だけれど、ただそれだけだ。

「ノンバイナリー」という言葉を見たとき、幼少期からのいろいろな記憶が数珠つなぎによみがえって、私はずっと自分の性が女性でもない男性でもないというところで揺らいできたんじゃないかとふと思った最近だった。

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