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「山」の話

機械の仕事で群馬に向かう。
千葉から高崎まで、ゆっくり走って3時間。外環を西に走る。ラジオが渋滞情報を伝えている。今日は風が強い。時折、車を揺さぶる突風が吹いてくる。

ラジオによれば関越道は渋滞らしい。所沢から鶴ヶ島まで2時間だそうだ。普段なら20分くらいか。その列に並ぶほど時間に余裕がある訳ではないので、川口から東北道へ逸れる。それから久喜白岡で圏央道に乗り換えて関越道に出た。

迂回したルートはスムーズだった。ただ、とにかく風が強い。道中は舞い上がる砂埃で、西部劇の荒野のシーンのようにセピア色に霞んでいた。

関越道を北上すると徐々に群馬の山が近づいてくる。高速の両サイドに見える、こんもりと木々の繁るそれらとは明らかに様相の異なるゴツゴツとした山々だ。僕には山の趣味がないから山の名前はよくわからない。

子供の頃、自分の部屋から3000m級の山々が見えた。日本屈指の連峰は、夏は爽やかに賑うが、冬は命懸けのステージとなる。冬山で遭難者が出るたびに僕の家の頭上を山岳救助隊のヘリコプターが飛んでいった。
その厳しさを間近で感じて育ったせいか、僕が登山に興味を持つことはなかった。

そんな僕でも山の美しさは分かるし、その姿に畏怖を感じる。今でも実家に帰るときには、その壮大さに胸を打たれる。
「ここで育ったんだな。」
と、強く思わされるものがある。


僕の妻は愛知の岡崎で育った。矢作川の西側の国道1号線沿いなので、あの辺りは山がない。

彼女が子供の頃、父親の実家(兵庫)に行った時に「これが山なんやで。」と、実家の前の山を前に父親に言われたそうだ。

自分の娘には「山」のイメージが無いのではないか。
義父はそれを気にしていたのかもしれない。義父は別にデリケートなタイプではなく、どちらかと言えばトンチンカンな人柄だった(ゴメンね)。

だからこそ、わざわざ山を指して「山だぞ」と言った可能性もあるのだが、その一方で、自分の見て育った山を心の原風景として大事にしていたようにも思える。
義父が示したかったのは、どこにでもある「a mountain」じゃなくて「the mountain」だったのじゃないかと。

いずれにせよ、義父は亡くなってしまったので、もう確認しようもない事だけど、この「山の話」が僕は好きだ。くどくどと話の本質を説明しなかった親父の姿勢に、照れやカッコつけのようなものを感じて、いいなぁ、と思うのだ。もしかしたら本気で何にも考えてなかった可能性もあるが….。

ちなみに僕のthe mountainは劔岳だ。
嫌で仕方なかった田舎も、この歳になると良い環境で育ったもんだなあ、という気持ちに変わる。自然に囲まれた所に店を構えたいと思うのも、自分の生い立ちが絶対に影響していると思う。

いいプロフィール写真が無くてしばらく借り物のニコニコマークにしていたが、ようやく山を彫った。次に店を作るなら自然が豊かなところ、名前はcafe ridge がいいと思ってユーザーネームにしている。木を彫るのはかなり久しぶりだったけど、思ったよりも楽しかった。







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