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伝え切る覚悟


気づけばもう5月29日(土)
風の匂いも触れ心地もいつの間にか夏の準備に向かってる。

なんて思った昼下がり。

卍易を想って書いていた。


代理で、というか私が勝手に立卦した話。


ある出来事の結果への卦を立てたのだけど、吉凶判断は、まぁまぁ吉。
でもなんとなくの違和感を覚えてモヤモヤ…

最終的には卦のまま良い感じに進みながら、そのモヤモヤ通りになったんだけど…
←吉凶は外れた。

この言葉にできない微妙なラインをもっと的確に表現したいなぁ…

って思いながら過ごしてた。

暫くして本人と話をして

本人の話を聴いて、あぁ…って思ったのが。

握りしめている思い込みとか固定概念というのがそのまま現象化されたのだということ。

潜在的に自分の望みを阻むモノっていうのは、
やっぱり可視化されたり誰かの口から伝えられたくてその準備をしているんだね。

本当は潜在意識も顕在意識もその人をより幸せにさせてあげたい。

出来事は全て自分が創ってその瞬間の最適解として起こしているだけで、良いも悪いも無くて…
ただ、気づかれることを、感じ 見つけてもらうことを待ってるだけなんだ。

って思ったら、なんだか全てが愛しく思えて泣きそうになった。

自分を一番愛せないのは自分…
自分を一番知らないのは自分…

なんて聞くけれど。

自分を一番愛してるのは自分で
自分を一番許してるのも自分なんだ。

って思えてしまった。

このちっぽけな肉体という器をカタチつくる為に集まったフォトン達は、只只無邪気な光で、私という存在を成り立たせてくれている。

不思議で素敵な世界だ。

人の心は宇宙の仕組みより複雑だって思ったことがあった。
もちろんコタエなんてわからなくて放置なんだけど。

よくよく考えたら、全てフォトンでしかなくてわけわからなくなりすぎて、一周回ってどうでもよくなった。笑

どうしたらいいか?に囚われがちだけど。
どうしたいのか?でいいんだった。

囚われるという文字は
人が口(枠)の中に入って出てこられない状態。

口(枠)から出してみたらいいんだよ。

前に書いた記事で
【困る 呆れる】というのがあった。

⬇️⬇️⬇️

困という文字は、
枠である口から出たら形がかわり
呆になる。

一歩ひいてみたら 外からみてみたら、
困ってるその状況なんて
呆れるほど簡単な氣づきで解決したりする。

頭のなかでぐるぐる困ってるより
思いきって口に出してみたら
呆れるほとあっけなく解決したりする。

【困】るも【呆】れるも

【杏】という文字の組み合わせ。

【杏】は【あん】ともいう。

【あ~ん】まで。

初めから終わりまで
ただそれは在って、
ただそれをどう組み合わせたかなだけ…

そうなんだって気づいたら 思えたら、
ひとつ違う視座が増えたりするかもね。

最初から最後まで
すべては いつもここにある。

それをわざわざ形を変えてまで
難しくしなくていいんだ。

⬆️⬆️⬆️

えらそうな事言ってる。笑

でも、口から思考から出してあげて可視化させたり傾聴、する事で気づき確認できる。

見ないから気づかないから変わらない事。
見ない事で気づかない事で変えない事。

どうしたいか?

だけで世界は変わる。

新しく何かが掴めた気がした。

✨追記✨

モヤモヤを感じた事をその時相手に伝えたら、きっと吉凶はその卦の通りになったんだと思う。

ケシーさんが言っていた『伝え切る覚悟』っていうのは、愛に基づいていたらきっと誰も傷つけない。
それは相手を信頼し伝えられるということ。
自分を信頼して伝えられるということ。


易者としての迫力
https://caseyka.jp/2021/02/12/8566/

明日…卒業かぁ………

たくさんたくさんありがとう皆❤️
ケシーさんに、兄弟弟子皆に支えられて頑張れた✨

感謝感激マジ卍💖

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