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流れにまかせて

ここ何年も、ほとんどテレビをつけることがなく。
YouTubeやらTVerに始まり、Amazon PrimeやSPOTV NOWなどのサブスクで見たいものを選んで見ることができるのって、ほんと便利になったなぁと。

小さい頃はテレビっ子だったので、常に家ではテレビがつけっぱなしで。
でも、興味がないと思っていた番組でも見ていると意外な発見があったり、こんな世界があるんだ~と新しく興味が湧いたり。

サブスクは便利で効率もいいし、自分の興味・関心ごとを深めるにはいいけど、未経験の分野に幅を広めるという意味では限界があるのかな、とも思ったりします。

最近はオンラインのセッションばかりなので、初めましてもオンラインやSNSを通してのことが多く、リアルで新しい人と出会うことがめっきり少なくなってきました。なので、外に出たい欲がじわじわと。
地域のサークルやコミュニティにでも入ろうかなと考えたりもしています。スポーツ系かな~、もしくは家庭菜園とかの園芸系とかもいいな、とか。

人との出会いやつながりでしか気づけないこともたくさんあるなぁと、最近ほんとによく思います。

自分の受け止めた感覚や反応、感情は自分の中にあるものでしかなく。
相手がどう受け止めているかも相手のものでしかなく。

そこに違いがあるからこそ、わかってもらえるようにちゃんと言葉にして伝える。
相手が何を理解しているのか、していないのかをちゃんと確認する…
そういう丁寧なやりとりが真のコミュニケーションなんだなぁ。


先日の多次元キネシオロジー レベル1のクラスでは、「言語化」がテーマでした。

私は以前、コピーライターや雑誌、Webライターをやっていたこともあって、言語化はどちらかというと得意だと思っていました。

でも、クラスでの言語化とはわけが違いました。

私がこれまでやっていたのは、どちらかというと、人や世の中が求めていることをくみ取ってその真ん中を満たすような、わかりやすい説明だったり、商品の特長やアピールポイントを極限までそぎ落としたうえで、さらに魅力的な言葉やフレーズに言い換えたものだったり。会社の方針にのっとって社長のメッセージとしてまとめることや、社員の士気を高めるための資料作りもあったり。
そういう、いわゆる左脳的なものばかりでした。
しかも、そこにどっぷりつかっていたからこそ、得意なんだと勘違いしていました(笑)。

クラスでやったのは、より右脳的なもの。
自分の中にある言葉にしにくいモヤッとした感覚や感情を、できるだけ素直に表現するというもの。だから、あくまでも主体になるのは、自分。
私は自分の感覚や感情をどれだけ表現してこなかったんだろうか、そして、相手にわかってもらうように伝えてこなかったんだろうかと、改めて思い知りました。

相手にわかってもらえていると思っていた(もしくはそう思いたい)こともしばしば。そこを信頼だと勘違いしていたことも。

で、この言語化ってやっぱり、自分に対する率直さ、正直さに勝るものはないなぁと。自分がどう表現しても相手は相手なりに受け止めてくれる、自分の想いと違って受け取られていたらまたトライしてみたらいいだけ、という信頼ももちろんのこと。

ひとつの出来事も多様な受け止め方があって、それがどんなものであっても良い悪いも、正しい間違いもなくて。

ただ、そう受け止めたのね、を受け入れる。
自分も、相手も。

これまでの人とのコミュニケーションに、このシンプルさはなかったかもなぁと。
何かと取り繕ったり、遠慮したり、本音を隠してしまうこともあったなぁと、いろいろと感じました。
こじれるのも、そりゃそうだよね、と。


明日はグループワーク企画の初回。
たくさん伝えたいことがあるなぁとも思うけど、きっと、それぞれの参加者の方が、その方に必要な何かを受け取ってくれるだろうと信じて。

無理して流れを考えたり、言うことをまとめるのはやめてみました。
その時のエネルギーや感覚でやってみようかな、と
(会社員時代は司会の台本とか読み原稿とか作ってて、そこに頼っていたけど)。

だから、私にとってはまた新たなチャレンジ✨

明日が楽しみです。



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