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縄文DNAが目醒めるには

軽くTreadsで呟いた記事を
noteにも残しておこうと思う。

いま、いろいろなところで
 
「縄文の精神を思いだそう」とか
「所有を手放そう」とか
「利他の精神が大切だ」とか
 
言われてるし、これを読んでる人も
どこかで見聞きしてると思うのね。
 
こういう、いわゆる
「良い話」を聞いて
感動したからといって
 
選択や行動が変わるか?と言えば
変わりませんよねw

選択・行動が変わらないのは
概ね、いま、世の中的に
問題になっていることや
課題が、自分ごとである、という
認識がなくて「他人ごと」であり
 
そして、概ね、人生が主体ではなく
受身的になっているからです。


わたしたちは
オギャーと生まれてから
消費経済という環境があって
 
無意識に、ラクや便利への依存
効率性重視、所有の概念、etc
長年の暮らしの中で形状記憶されて
いるわけで
 
自分の現状の 情報空間が
完全に、消費経済のもたらした
記憶で敷き詰められているのだから

環境や関係性、それから
体験場を更新しない限り
当たり前だけど、情報空間の
影響を受けます。
 
縄文の精神、利他の精神って
現状の延長線には無いからねw
 
全く違う世界線なのです。
 
争いなく平和に生きてきた
縄文人のDNAが目醒めるには

多くの人が「めんどくさい」と
している「丁寧さ」や「手間暇」に
コストをかけ、その上で

利便性に感謝し、利便と不便の
いずれも選択肢にし
 
共に生み出し
分かち合い
 
そこに胸を震わせるような
歓びを共有する。
 
そんな醗酵的、且つ循環的思考が
呼び覚まされる体験を自分にさせ
そして知覚すること。
 
つまりは、わたしたちが
想像力・創造性そのものであることを
思い出すことなのです。
 
天=想像力
地=創造性
 
この循環者である「人間」を
思い出すこと。
 
座学で理解は不可能です。
 
そういう体験にこそ
積極的にコストをかける必要があります。
 
単に、消費にお金を払っている
場合じゃありません。
 
これはもはや、人類の家畜化ですw
 


社会課題や問題を、解決することも
とても大切なことで、それを
真っ向から取り組んでおられる
企業さんや活動家さんには
ホント感謝です。
 
ただ、この、問題→解決は
樹で言うところの「枝葉」のこと。
 
フォーカスするべきは
樹の根っこになります。
(もっと言えば、土)
 
これは、人類の集合無意識。
 
この集合無意識が発露するのに
先に気づいた1人1人、個の
体験→知覚→変容が重要なのですね。
 
わたしは、ここにフォーカスを
充てていくのみです。

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