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ものわかりの良さ

 先日、学習支援のボランティアに関するインタビューを受ける機会があり、2時間くらい質問に自由に答えさせていただいた。

 私は今のボランティアをする際に一つ決めたことがあって、それは気取らず自分に素直になること。もちろん蛇口の開け閉めはするけれど、過度に考えすぎず自分の思ったことを言うこと。子どもにそういう態度でいて欲しいから、自分がそうしようと思って決めたことだった。

 インタビューを振り返ってみて、そういうことを私が決めたことの裏には、私がこれまで思ったことを言えないで来た経験があることに気づかされた。物わかりの良さを良いものと思うが故に、例えば、やり方も教えられないのに出来ないことを糾弾するなとか、原爆を落とすのは問答無用で悪いだろとか、社会人ならそのくらい受け流せとかあんまりじゃね?とか、そういうことを言えなかった。「物わかりの良さ」が自分にとって大切だったからだ。

 自分が大切にしていた「物わかりの良さ」の中には、他人への気遣いや優しさと言えるものがあったと思う。というか、不完全だけれどそういうものを志向したと思わないと立つ瀬がない。だがしかし当たり前に、他人への気遣いや優しさは、「物わかりの良さ」ではない。だから、学習支援で出会う子どもには物わかりの良さを求めないように、これはきっと難しいけど、少なくとも意識して気を付けよう。

 私がインタビューを受けることになったのは偶然だけど、そのおかげで自分の考えていることに気づけたし、思っていることを聞いてもらえて嬉しい体験だった。