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「ただ存在する」人になる 水中の哲学者たち 永井玲衣

哲学研究をされている永井玲衣さんのエッセイ。
「水中」とタイトルにつくとおり、なんだか海の中を潜っているような感覚になる一冊。
考えることって楽しい。他の人とちがったり、間違っても全然大丈夫だよ〜!とこの本を読んでいると思えるようになるから不思議。

このエッセイの「存在のゆるし」という章で、「ただ存在する」活動をはじめた、という一節があった。

ただ存在するだけが苦手な私たち。オードリーの若林は、「楽屋の中でペットボトルのラベルを読み込んでいる」そうだ。そうすると、「ペットボトルのラベルを読み込んでいる人」になれる。
ただ存在しているのは、いたたまれない。だから私たちは、何か役割を得ようとする。

そこで、「ただ存在する」活動なのだ。たとえば、電車の中で、ただ存在するだけの人になる。街の中で座って、何もしない人になる。

私はそれを読んで、ドラマ『僕の姉ちゃん』で、主人公が気になる男性と待ち合わせたシーンを思い出した。
その男性は待ち合わせの場所で「ただ待っていた」。主人公はスマホを持たずに「ただ待つ」男性にキュンとする。

私もこの「何もしない」に惹かれた。なぜなら私も「ただ存在する」が苦手だから。飲み会で沈黙が続くと箸袋を触って「箸袋を触っている人」になろうとするから。

堂々と「何もしない」人になりたいと思う。

このグラフィックはwebメディア「telling」のコラム「本という贅沢」を参考にしました⭐︎

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