諦めたら、やれることが見えて来た。
毎月、第2日曜日の夜にオンラインで瞑想会を行なっていて、2月のテーマは「あきらめる=悟り」でした。
「あきらめる」って、ネガティブなイメージの方が多いかもしれません。
実際、夢をあきらめるとか、やりたいことをあきらめるとか、この言葉にはどこか希望を失う印象がぬぐえません。
でも、あきらめることで楽になったという方も、きっといらっしゃるはず。私もそのうちのひとりです。
どうあがいても、望ましい結果につながらない……。そんなことがありました。でも「自分ではどうにもならない領域なんだ」とふと理解した瞬間、結果をコントロールしたいという欲から解放され、心が穏やかになったんです。
「諦」を漢和辞典で調べると、
諦める以外にもこんなことが書かれていました。
・ものの真実をよく見る
・見きわめられた道理。真理。真実。
2月の瞑想会ではそんなお話もさせていただきました。
ちょっと地味なテーマかと思いましたが、けっこう好評でした。
こちらはその感想の一部です。
そして私も瞑想と問いかけを通じ、子育てに関して改めて気づいたことがありました。それはこのふたつです。
・子どもの未来への「期待」があるけれど、そうなるかどうかは自分にはどうしようもないということ。
・漠然と子ども未来について「良くなって欲しい」と思っていたことも、具体的に「こうあって欲しい」と願っていたことも、私にはコントロールできないということ。
別にこういう職業になって……なんていうのはなかったんですが、才能を伸ばしてあげたいとか、色々な人と出会う機会を設けてあげたいとかは思っていたんです。
でも、これもコントロールはできないんだなと。
そうやって、自分の力が及ぶものではないと諦めた(明らめた)ら、逆に子どもたちにしてあげられることが、あれこれ見えてきたんですよ。
なんていうんでしょうか。
どうにかできると思っていたから、うるさく言っていたと思います。
どうにかできると思っていたから、必死になってしんどくなっていたと思います。
「なぜ、時間を無駄にするの?」って。
「はやく気づいて」って。
でも、子どもの人生。親であろうとどうにもできない領域があるとわかったことで、「やれることをやったら、あとはもう、本人やら他人やら社会やら、大いなるものに委ねるしかないよね〜」という気持ちになったんです。
「自分の担当パート」が見えたという感じですかね。
さて、3月の瞑想会は「直感力」がテーマです。
ちょうど開催日が新月と重なっているんです。
おまけに、今年最も月が地球に近づいている日なんです。
見えないけど、すぐそこに存在する。
それって「内なる叡智の声」=「直感」じゃないかなと。
とても楽しみです。
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