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居場所をくれてありがとう

 中学生のころ、家が大いに荒れていて居場所がなかった。母親はいつも怒りで叫んでいて、父親はたまにしか帰ってこない、珍しく両親が家にそろっているかと思えば怒号が飛び交う。「ああ、なんて嫌な家なんだろう」と毎日憂鬱だった。
 平日は塾に通わせてもらっていたから、部活から帰ってくるとほとんどを塾で過ごした。土日はどうしても家にいたくなくて、いつも朝から晩まで市立図書館の閲覧室で過ごした。
 私は「未成年でも時間を気にせず、人の目を気にせずにいられる場所」を見つけられることができたからラッキーだったけれど、もしそんな場所を見つけられずに、深夜のコンビニに行ったり、あてもなく街を徘徊していたら、不良少女になっていたと思う。ひと回り下の世代に舐達麻というラッパーがいるのだけれど、彼らのMVを見ていると懐かしい風景がたくさん出てくる。彼らが見てきた街の風景と同じものを私も見てきた。駅の駐輪場に上る道、ちょっと怖くて入りづらかった古着屋や飲屋街。サムネの踏切跡は塾に行く時、高校に行く時、毎日通った道だ。同じ地元だから、もし私がヤンキーになっていたら、彼らのアネキ的存在になれたのかもしれない(それはそれで楽しそう)。

 私が中学生のころからずっと通っている喫茶店がある。帰省するたびに訪問しているから、かれこれ30年以上通っていることになる。桜の名所の土手の脇、市立図書館の近くにあり、扉をあけるとコーヒーの匂いがふわっと香り、ドアベルの「カランカランコロンコロン……」という音がする。木目で統一された店内は、近所のマダムから、家族連れ、遠方の方もたまに訪れているらしい。コーヒーはもちろん、パスタやケーキも揃っていて、中学生から高校生までの6年間、私の胃袋を支えてくれていた。私はコーヒーが大好きで、いまや立派なカフェイン中毒に成長したが、ブラックコーヒーの美味しさに気づかせてくれたのはこのお店だ。私のお気に入りは和風のスープパスタ。昆布出汁なのか、アサリも効いている気がする。家で再現しようと何度も試みたが、30年経っても再現できない。先日、久しぶりに家で挑戦しようと、お店のインスタからスープの色味を研究しようと思いSNSを開いたら、マスターの訃報が出ていた。

 私は一度もマスターと世間話をしたことがない。奥様もお店に立っているが奥様ともない。大学時代にルームメイトをしていた私の幼馴染は、その喫茶店で高校時代にアルバイトをし、そこで恋人をつくり、別れたりしていた。とても近い存在だったとは思うが、私はマスターの名前も知らない。さすがに存在は知られていると思う。どうみても子どもだった中学生が、週末、ひとりでご飯を食べにくるのだ。「大丈夫かしら?」なんて思われていたかもしれない。
 しかし「ひとりなの?」なんて声をかけられたら、たぶん二度と行かない。
 いい意味で放っておかれたのが良かった。何も聞かれない。踏み込まない。子どもだけど大人の客と同じように扱ってくれる。誰かに用意された場所ではなくて、自分で見つけた場所だ。母が亡くなったときも、父が亡くなったときも、兄が亡くなったときも、そういえば一人でふらっと訪れていた。お盆に帰省して喪服で卒塔婆を担いだあとも汗だくで入った。私はこんな場所を見つけられて、本当に恵まれている。
 
 再現できない和風パスタは、店でバイトしていた幼馴染に聞けば、たぶんすぐにわかると思う。でもそんなダサいことはしたくない。
 最後にマスターを見た時、「もうおじいちゃんだな」と思った。そういえば私も、もう大人になっていた。改めて喫茶店のHPを見ると、オープンしたのは1981年11月だという。私はその年の6月生まれだから、私の方が少し先輩だ。マスターの名前をいま初めて知った。年齢は83歳。40歳くらいで脱サラして喫茶店を開いたのかもしれない。彼には彼の人生があり、いろいろな人が行き交う喫茶店という場所をつくった。どんな想いで店を作ったのかなんて知らない。でも、この場所があったことで私は不良少女の仲間入りをしないですんだ。

 私は自分の地元が大嫌いだが、この喫茶店と図書館(と舐達麻)は好きだ。
「私の居場所をつくってくれてありがとう」
 亡くなってからお礼をいうのもおかしな話だ。しかし、人生なんてたぶんそんなものだ。

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